役員会の弁当は三十人前。毎月、一度とはいえ、京味にとっては大きな固定収入だ。なんといっても信用につながるし、役員たちが食べに来てくれるかもしれない……。

それから西は毎日、頭をひねって、ああでもない、こうでもないと弁当の中身を考えた。せっかくの厚意だから、なんとしても勝ち取りたい……。

「そうか」

ひとつのアイデアが浮かんだ。それは……。

肉料理はあえて使わない

会議や打ち合わせで仕出しの高級弁当を食べたことのある人は少なくないと思われる。値段の高い弁当であればあるほど、和食、洋食を問わず、高級食材ばかりが詰まっているのが通例だ。雲丹、鮪のトロ、イクラ、高級牛肉、海老、蟹……。そんな高価な弁当も一度は嬉しい。

『京味物語』
撮影=牧田健太郎

しかし、毎月、鮪のトロと松阪牛のステーキが入っていれば、見ただけで味がわかってしまう。それに高級食材は冷めた弁当で食べるよりも、酒と一緒に店でつまみたい。まさか役員会で日本酒を酌み交わすわけにはいかないから、珍味よりも、ご飯が進むおかず、体にとってやさしいおかずを入れた方がいいんじゃないか。

――野菜料理で行く。素朴な味、懐かしい味の弁当にする。むろん、素材はいいものを厳選する。しかし、酒のつまみではなく、ご飯のおかずを入れる。

西は牛肉ならばステーキではなく、薄い牛肉をカリカリに焼いたものにした。根菜をたくさん使った筑前煮を入れた。ご飯も毎月、季節に応じた炊き込みご飯を詰めることにした。

選考会の日、数人の役員はふたつの店の弁当を味見した。もちろん、頭取も味見をするひとりだった。

結果は京味。西がくふうした松花堂弁当に決まったのである。

弁当は京味のファンを広げることにつながった

採用が決まると、三十人分の漆塗りの弁当箱を新調し、出前に使う軽自動車も買った。そうして、弟子と一緒に毎月、自ら都市銀行の本店まで弁当を配達し、給仕したのである。

「うん、これはいい」

初回から大好評で、銀行の重役たちは残さず平らげてくれた。回を重ねると、秘書が「今月のご飯は何ですか?」と西に訊ねてくるようになった。

『京味物語』
撮影=牧田健太郎

役員会の弁当は京味のファンを広げることにつながった。重役たちは争って京味に予約を入れるようになり、友人知人、取引先を連れてくるようになり、どんどん輪が広がっていったのである。