開店から二年が経った。さまざまなことがあったけれど、京味はようやく満席が続く店になった。

忙しくなってからも、西は相変わらず神戸から鮮魚、京都から野菜を航空便で運ばせていた。めったにはないことだけれど、台風が来た時などは飛行機が欠航する。そんな時は鮮魚店の宮田さんか青果店の古嶋さんのどちらかが魚と野菜を抱えて新幹線に乗って東京駅まで持ってきてくれた。

『京味物語』
撮影=牧田健太郎

上京3年目で手狭な店を引っ越すことにしたが…

西が東京にやってきてから三年が過ぎた。

その年、一九六九年は全共闘の学生が、東京大学の安田講堂を占拠し、警視庁機動隊が封鎖を解除するという事件があった。投石があり、それに対して放水が行われ、人と人がぶつかり合う安田講堂攻防戦だった。学生運動が高揚した時期の大きな事件である。

世の中が騒然とした時代であっても京味は毎日、必ず席が埋まるようになっていた。西は三十二歳。料理人としてはこれからが勝負という年齢である。

『京味物語』
撮影=牧田健太郎

ひとつ心配だったのは店が手狭なことだった。新しい店を探すことにしたけれど、あまり遠くに行くわけにはいかない。新橋から遠い場所に引っ越したら、せっかくの常連客が来てくれなくなるかもしれない。

店のことをどうしようかと悩んでいたある日、ふと、思い出したことがある。常連客のひとりが新橋にビルを二棟持っていると言っていたことだ。

西は常連客の事務所を訪ねて、相談した。「どちらかを貸してもらえませんか」

「あー、貸すことはできないが、あんたになら売ることはできるよ」

場所は新橋三丁目。妻の実家からも遠くないところで、地下一階、地上四階のビルだった。

担保を持っていなければ「ダメです」

しかし、家を買うのとビルを買うのでは金額の桁が違う。借金をするにしても当てはなかった。

西は役員会に弁当を運んでいる都市銀行の支店に出かけていって担当者に頭を下げた。だが担保は持っていない。

「ダメです」担当者はけんもほろろに断った。

「どうしよう……」考えあぐねた西は頭取に思い切って相談することにし、本店へ出かけていったのである。