「あの人さえいなければ!」を捨てる

「あの人さえいなければ」と思う話は、よくありますね。

・会社のプレゼンで、自分でなく同僚の案が採用された
・部活の憧れの先輩が自分の同期と付き合い、結婚した
・福引で自分の前の人が一等を当てた
・自分の子どもと成績は変わらなかったのに、ママ友の子どもがいい学校に受かった

こんなときに「あの人さえいなければ」と思う人はいます。しかし、比較する対象の「あの人」が仮にいなかったとしても、自分にチャンスが舞い込んできたとは限らないという現実は、きちんと見ておきましょう。

・別に同僚がいなくたって、戦略を正しく練れば、次のプレゼンでは自分の案が採用されるかもしれません
・部活の憧れの先輩の目の前に同期がいなくても、先輩はそもそもあなたに目もくれないし、結婚だってしないんじゃないでしょうか
・この先、先輩よりもずっと素晴らしい男性と出会う可能性はあるし、福引どころか、高額の宝くじが当たることだってあるかもしれない

「勝った」「負けた」はただの幻影

未来の「いいこと」を実現する努力をせずに、現状で人に「負けた」ような気持ちになって、そんなところにばかり目を向けて辛くなる。それでは永遠に辛い毎日から抜け出せません。自分が辛い原因を他人のせいにする限り、永遠に続く底なし沼になってしまうのです。

「幸」という字と、「辛」という字は、構造上横棒が一本入るかどうかの違いしかありませんが、実際の世の中でもその通りに、受け取り方一つで「幸せ」が「辛い」になってしまうことも簡単だし、逆に「辛い」を「幸せ」にすることは、意外に簡単なことだったりします。

それなのに自分の凝り固まった価値観が、一本の棒を足すに等しい「ちょっとした物の見方を変えること」すら拒み、楽観的に物事を考えることを非常に難しくしています。

人生において経験する多くの「勝った」とか「負けた」とかは、すべて自分自身のつくり出した幻影との脳内戦争に過ぎません。

冷静に考えて、その勝敗を決めているのは誰ですか? 自分自身ですよね? そんな幻影はとっとと捨ててしまいましょう。

ポイント
人生における「勝った」「負けた」という思いは、すべて自分がつくり出した幻影。

人生で一番大切なのは「あなた自身」

精神科医をしていると、家族間の深い闇を抱えている方々と、よく出会います。

深刻な問題に「搾取子(さくしゅし、さくしゅご)」と言われるケースがあります。聞き慣れない言葉かもしれませんが、「搾取されるための子ども」という意味です。

たとえば、一組の夫婦の、最初にできた子どもが障害者だったとしましょう。親は子どもに付きっきりになり、トイレから食事まで相当な苦労を強いられます。そこでもう一人、子どもをつくるケースは比較的よくあるそうです。