自分の親は選べない。それをおもちゃ売り場やソーシャルゲームの「ガチャ」にたとえた「親ガチャ」という言葉が話題を集めている。作家の岩井志麻子さんは「妹は私とは真逆の良妻賢母だが、世間には有名人になった私のほうを当たりとする人もいる。ガチャと人生はあまりに違いすぎる」という――。
ガシャポンでゲットしたカプセルトイを手に持って
写真=iStock.com/Atiwat Studio
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私は「当たり」を引いたことになるのか

はやり言葉に疎い私も、「親ガチャ」なる言葉はなんとなく目にしたり聞いたりするようにはなっていた。子どもは親を選べない、というのを表す流行語らしい。

通常の自販機は自分で商品を選ぶものだけれど、カプセルに入った玩具のそれは、何が入っているか何が出てくるかは、運任せ。自分では中身を選べない、通称ガチャ。

ソーシャルネットゲームのキャラクター入手になぞらえている、という説もあるが、私はポケモンGOしかやらないので、こちらはあまりピンとこない。私も観光地やドライブインなんかで見かけると、お土産代わりに親ではなく本物のガチャはついやってしまう。

いずれにしても、親ガチャなる言葉は流し読み、聞き流していた。

それ自体、私が親ガチャで恵まれていたということなのか。親ガチャは当たりではなく、はずれはずれと思っている子ども側から語られがち、だそうだから。社会的地位の高い金持ちの親がいれば、もっと楽に暮らせるのに。あんな毒親でなきゃ、自分はこんなふうに落ちぶれはしなかったのに。みたいに。

とっくに成人しておいて親のことをいうのは…

現世の不幸がすべて「前世の因縁」などといわれてしまえば、こちらは何もいい返せず、思考停止に陥るが、親ガチャだと因果や敵が目に見えるので、真面目な論争にもなる。

世間一般の公約数というのだろうか。

それでいうと、うちの親は決して当たりではない。社会的地位も金もない。