SNSによる「巨大な感情」に統制される人びと
SNSによって凝集された「市民の感情」の力は、年々その力の制御が困難になりつつある。いや、傍から見れば、すでにほとんど暴走しているようにも見える。
自らの快/不快といった好悪感情をためらいなくSNS上に投射して社会正義/不正義の問題に接続しようとする一部の人は、「市民の感情」の力を社会の規範体系や法秩序と折り合いがつくレベルにとどめようとはまったく考えていない。むしろその力を強めて、自分の望ましい方向へと使役しようと考えている。
個としては脆弱で、これまで自分ひとりでは社会になんの変化を及ぼすことのできなかった名もなき人びとがいま、SNSによって社会に大きな変化を及ぼす力を得た。人びとはその力によって、喜び勇んで無邪気に「世直し」をしている。《みんな》を不快にさせるような広告を取り去り、《みんな》に迷惑をかけるような人間を制裁し、《みんな》が安心して暮らせないような異物を取り除いている。スマートフォン越しに「けしからん人物や事象」に制裁を加え、今日の自分はとてもよいことをした、と満足しながら眠りにつく。
ディストピアSFのフィクションでは、巨大な人工知能や闇の世界政府が人びとを統制・監視するが、現実世界ではSNSという電子的空間で産声を上げた「巨大な感情」が人びとを統制しようとしている。
私からすれば、SF小説などフィクションのなかで描写される「ディストピア」よりも、SNSによって結集された「市民の感情」によって、人間のインプットもアウトプットもひたすら「美しく」「清く」「快く」「ただしく」浄化されていくこの現実(と、その現実になにも疑問を持たない人びとの有様)の方が、よほどディストピアであるように見える。