※本稿は、松場登美『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり 人口400人の石見銀山に若者たちが移住する理由』(小学館)の一部を再編集したものです。
「世界遺産登録で、ビジネスチャンスがやってくる」
帰郷して20年後の2001年、事業と町づくりを両輪でやってきた私たちの足元を揺るがす大きなできごとが訪れます。石見銀山が世界遺産登録の前提となる「暫定リスト」に掲載されることになったのです。
世界遺産への登録を、足元を揺るがす大きなできごとと表現したことに違和感を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、私たちにとってはまさに青天の霹靂でした。
初期の世界遺産登録説明会では、壇上にいる人たちが「みなさんうかうかしている場合じゃないですよ、世界遺産になったら、どんなビジネスチャンスが訪れるかわかりませんよ」と、まくしたてていました。私は「やっぱりそこか」と落胆しました。世界遺産登録が人間の欲をあおるできごとになっていることに、ひっかかりを感じたからです。世界遺産登録に真っ先に異を唱えたのは夫でした。夫は反対していたわけではありませんが、準備のために時間がほしいと主張していました。でも行政と町民の思惑には差があったように思います。町の中で賛成派と反対派、行政対民間といった分断が起こってしまいました。これは私たちにとっては、かなり辛いできごとでしたね。この章では世界遺産登録のてん末についてお伝えしますが、ここから先は熱心に活動していた夫の大吉さんにバトンを渡します。
烏合の衆に大森町が荒らされてしまう
松場登美の夫、松場大吉です。
私たちは世界遺産になる20年も前から石見銀山に店をつくり、仲間たちと町づくりをしてきました。本店は地域の店というより、国内外に向けたショールームにしたい、そういう思いで、このわずか400人の町に投資してきたのです。そして、ゆっくりゆっくりと進みながら、この町を訪れるリピーターを増やしてきました。そこにポンと世界遺産の話が出てきたのです。
私は、もともと世界遺産自体を否定していたわけではありません。ただ世界遺産に登録されたらもうかる、人がたくさん来て町が潤う、そういった経済一辺倒の行政の姿勢には異議を唱えました。
たいていの人が飛びつく話かもしれませんが、私からすると、大手観光業者の思惑に踊らされた烏合の衆に大森町が荒らされる、本当の町のよさがなくなってしまうのではないかというこわさがありました。