鎖骨部からは「キリで刺されるような痛み」が出た

正彌さんは妻に「お前とは37年だったなぁ」と言った。妻は「まんだ、お父ちゃんに頑張ってもらわんと」と励ます。だが「わしがおらんでも、もう大丈夫だ」という言葉が返ってきた。

治療方針は苦痛緩和にしぼられ、1週間入院したのち、在宅に切り替えられることになった。

「父は残された時間を家で、家族と一緒に過ごしたいと望んでいると感じました。ですが痛みの緩和や急変時の問題、当時は往診を依頼する医師もいない、病院から家までの距離が車で40分と遠いことも不安でした。主治医はそんな気持ちに理解を示してくださり、レペタン座薬での沈痛、輸液指示と点滴を私が実施することの許可を出してくださいました。また何が起これば優先的に入院できると約束してくれました。医療者側の配慮と励ましで、父を家に連れて帰る決心ができたのです。私も職場の理解と協力を得て休暇をもらい、父を看護する覚悟を決めて帰省しました」(小畑さん)

しかし、進行がん末期の正彌さんは衰弱が進み、次々に苦痛症状が現れた。激しい倦怠感や血尿、転移したと思われる鎖骨部からは「キリで刺されるような痛み」が出た。

父を「入院させてしまった」という罪悪感も芽生えた

「レペタン座薬での緩和には限界がありました。普段は穏やかな父ですが、痛みでイライラしたのでしょう、時に私に対して『(看護師の)お前でもどうにもならんのか!』と厳しく言う時もありました。父の苦痛をとってあげられない現実を突きつけられて涙が出ましたね。病院ならばさまざまな手立てが受けられ、父はもう少しラクに過ごせるのではないかと、幾度も自問しました。主治医へ相談したところ、『ご家庭では限界なので入院しましょう』と勧められて……」

正彌さんが入院すると、小畑さんは高熱を出して2日間寝込んでしまった。当時の日々を「看護師の自分でも、訪問看護師からサポートを受けられない現実は体調を崩すほどにハードだった」と振り返る。入院することで自分一人で請け負う体制から逃れ、ほっとして気がゆるんで、高熱が出てしまった、と。

だが一方で、看護師であるがゆえ「家にいたい」と願った父を「入院させてしまった」という罪悪感も芽生えた。

「それまで、患者さんの希望をかなえるのが最善という姿勢で、看護師の仕事を務めてきました。その私が大切な父の希望をかなえることを放棄した。看護師としても、家族の一員としてもうしろめたさを感じました。熱が出るほどほっとしたはずなのに、次の段階では自分を責めているんです」