「天下の東大の数字がなんでパッとしないの?」
僕たちは論理的な読み書きといった言語スキルは高いが、他人との会話やコミュニケーションといった対人関係スキルでは世間の平均値にもおぼつかない。
「話が面白くない」「難しいことしかいわない」「一呼吸でしゃべりすぎ」「人の気持ちが分かっていない」「なにを考えているのか分からない」「態度が冷たい」「協調性がない」「挙動が不審」……これらは、僕たちがなにかにつけて言われてきた言葉である。
もし今この本を読んでいるあなたが東大生や東大卒業生なら、身に覚えのある人もいることだろう。
僕たちが独りで机に向かってシコシコと受験勉強をしていたときに、大勢の人間と一緒に運動したり遊んだりしながら対人関係スキルを磨いていた人たちがいる。
東大から社会に出てはじめて、僕たちはそのことに気づくのだった。
「民間企業は稼いでなんぼでしょ。そんな職場で、まともな文章一つ書けないバカだと思っていた連中が、俺なんかよりずっと稼いでくる。
営業成績が張り出されて、みんなの前で上司に『短大出のあいつがあれだけの数字をあげているのに、天下の東大を出ているお前の数字はなんでパッとしないの? やる気が足りないのかな?』なんて詰められると、プライドはズタズタだよね。今でも思い出すだけで死にたくなる」
並程度の営業成績をあげられなかった加瀬くんは、大勢の同僚の前で上司から何度も叱責を受けた。並の成績ならそれでよさそうなものだが、東大卒というだけで要求される数字が大きくなるのだという。
結局、学歴があるうえで数字もあげる人間が銀行のメインストリームで出世していく。
「ただ、そういう人は『スーパースター』のようなもので、並の東大卒よりも明らかに能力が高い。俺なんかは有象無象の東大卒だからね……いや、人よりもずっと根性がないから、東大卒としては底辺かな。だから、営業仕事のキツさにメンタルがもたなかったんだろうね」
加瀬くんは自虐めいてそう言った。
慶應卒の嫌がらせが陰湿でキツかった
「もうひとつ嫌だったことを挙げるとすると、いじめだよね。けっこうひどかったよ」
一般的に、ある程度の数の人間が集まればいじめは必ず起こるとされている。しかし、加瀬くんが勤めるようなちゃんとした会社では徹底された社内コンプライアンスが大きないじめの発生を防いでいる——そう僕は思っていた。
「職場は常に空気がギスギスしているよ。仕事がキツくて、みんなストレスをためているんだよね。そんななかで東大卒は昇進とかでなにかと優遇されるから、他大卒の人たちの妬み嫉みの対象になりやすいんだよね」
自分たちの方が外で稼いでくるのになぜあいつは東大を出ているというだけ——そういった悪意に加瀬くんはしばしばさらされたという。
「具体的にぶっちゃけてしまうと、慶應を出ている人の先輩からの嫌がらせが陰湿でキツかった。いろいろとやられたよ」
業務で話しかけても一度目は必ず無視される。目が合うたびに舌打ちをされる。うっかり脚をぶつけたという体で机を蹴られる。ほかの同僚たちの前で仕事のミスを何時間も責められる。
名前ではなく「東大生」と呼ばれる……一つひとつはささいな嫌がらせでも、コツコツと続けられたことで加瀬くんの心には着実にダメージが蓄積した。