何事も自分で判断すれば、他人を責めずに済む

私はこれまで、進学する大学や学部、勤める会社、退職の時期、その後の職業、結婚相手、そして2020年8月末をもってのセミリタイアなど、さまざまな判断を自分だけで下してきた。すべて自分で決めて、他人が何を言おうと自我を貫き通した。

なぜ、このような思考に至ったかといえば、誰かの判断に従うと後悔するし、失敗した場合に納得できないからだ。すべてを自分で判断しているのであれば、うまくいかなかったとしても、悪いのは自分だけということになる。こうした姿勢は、他人を責めない潔い生き方にもつながる。

なお、先述した人生の選択に関してはすべて「この判断こそが最善だった」と思っている。「失敗した判断はない」と断言できるくらい、人生は順調だ。

「非常識なこと」が社会の常識になっていないか

今年の9月12日、漫画家の小林よしのり氏が主催するシンポジウム「ゴー宣道場」に登壇した。「第100回ゴー宣道場in愛知(第3回東海ゴー宣道場)」と銘打たれた同イベントのテーマは「常識の逆襲」。そこに私はゲストとして招かれたのだった。

会場で展開されたのは「コロナ騒動で右往左往する社会において、常識をいかに維持するか」という議論である。登壇者も参加者も、会場に集まっているのはコロナ騒動について「これっておかしくないか?」という問題意識を持っている人々だ。これが盛り上がらないわけがない。

我々は社会の少数派──といっても、あくまで見た目上の“少数”。内心ではコロナ騒動を「バカげている」と考えている人も多いだろうが、それを表立って言うと激しく批判されてしまうので、黙っているだけ──だからこそ、「非常識なことが社会の常識になっている」という現在の異常事態に対して、正々堂々「それはおかしい!」と声を上げ続けなければならない。壇上では、そんな思いを確認しあった。

私は政治家や専門家たちのコロナに関する発言、そしてそれらを垂れ流すメディアのことを、もはやまったく信用していない。自分の「野生の勘」のほうが正しいと思っている。だから彼らには従わないし、このようなイベントにもはばかることなく参加する。