権威が言ったことに従うだけの無能

私がリクルーターを担当したケースでは、こうした「自分は○○のような人間」と比喩で自己分析をする学生は全員落とした。おそらく、学生に人気の就活アドバイザーや人事コンサルタントあたりが著書やセミナーなどでそうした話法を「ユニークな表現で個性をアピール」「とにかく面接官の記憶に残ることが大事」などと推奨していたのだろう。だが、それを唯々諾々と受け入れ、サル真似している時点で完全に没個性である。私はそんな就活生を「権威が言ったことに従うだけの無能」だと判断した。

いまの日本の状況も、こうした就活生の態度に似ている。人間には本来、それまでに獲得した知識や経験の蓄積に基づく「自分なりの判断基準や価値観」「野生の勘(直感)」が備わっているはずなのだ。他人の意見を参考にすることは一概に否定しないが、ただ聞き入れるのではなく、自分なりに検討し、解釈する姿勢が不可欠である。そこで「ん、何かおかしいぞ」「妙だな」「素直に承服しかねる」と思ったのであれば、臆することなく異を唱えなければならない。

「野生の勘」が命運を分けることもある

東日本大震災の際、宮城県石巻市の大川小学校では、全校児童108人のうち74人の死者・行方不明者が出た。教職員は13人中10人が亡くなった。校庭に児童を50分も待機させた後、学校にほど近い7メートル弱の高さがある堤防道路に彼らは向かったが、結果的に想定外の大津波が来て多くの犠牲が出た。

一方、裏山に逃げて助かった人もいた。裏山は土砂災害特別警戒区域や警戒区域に指定されていたため、全校での避難を躊躇したという事情はあったが、当時の教職員の判断が正しかったかどうかは後日、激しく議論された。児童たちのなかには、学校から5分で登れる裏山に逃げなければならないと直感的に判断した者もいたという。しかし、教師は裏山に逃げた児童を「危ないから戻れ」と呼び戻したそうだ。教師としては、地震による土砂崩れのほうが津波よりもリスクが高いと判断したのだろう。

ただ、あくまで結果論になるが、裏山に逃げようと判断し、行動に移そうとした児童たちの「野生の勘」は正しかったのである。実際、堤防を乗り越えてきた大津波に児童たちの列がのみ込まれるなか、たまたま列の後方にいた児童や教師は急いで向きを変えて裏山を駆け上り、一部はギリギリで難を逃れているのだ。

東日本大震災で津波に襲われた石巻市の大川小学校(2012年6月10日)
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