ピンチはチャンス

入院して1週間ほど経った頃、父親は眠れなかったのか、深夜に看護師を呼び、睡眠薬を要求。すでに渡してあったため看護師が拒否すると、たちまち口論になり、父親は激昂し、看護師を蹴って暴れ出す。何とかその時は、他の看護師たちが複数人で押さえつけ、筋肉注射をして眠らせたと聞いたが、またそんな騒ぎを起こさないか、井上さんは気が気でなく、時々父親のことを考えると動悸がしてくる。

「正直、父に肺がんが見つかり、余命半年と宣告されたとき、私は『やっと介護が終わる。介護に終わりってあるんだ』と思い、ほっとしました。私は今年30歳になりましたが、普通の20代のように、バリバリ働いて、恋愛して、友だちと旅行に行くということができませんでした。介護の合間に必死に働いて稼いだお金も、父のために消え、何度も、『私は父の介護をするために生まれてきたのか?』と存在意義がわからなくなりました。介護自体の辛さというよりは、周りと自分を比べてしまい、自分の置かれている状況に悲観していた時期が一番辛かったです」

そんなつらい時期を脱したのは、昨年の4月。コロナ禍に陥り、「働き方」について考えたことがきっかけだった。

それまでもライティングなどの副業はしていたが、もっと「人の役に立つこと、自分だからできることがあるのではないか?」と思い、介護ブログを立ち上げる。ブログやSNSに、介護を通して感じたこと、学んだこと、自分の価値観や生き方について綴っていくと、読者から「元気が出ました」といったコメントが寄せられるようになり、励みになった。

「ブログやSNSを始めるまでは、『なんで私が介護をしなくちゃいけないんだ?』という思いが強かったですが、嬉しいコメントをもらう度に、『私の経験は無駄じゃなかった』と思えるようになり、悲観して打ちひしがれていた状況を脱することができました」

父親には言っていないが、主治医によると、父親は精神科領域の治療をする以前に、がんが進行して亡くなるだろうと言われている。

「両親には、私をこの世に存在させてくれたことに感謝しています。父のお陰で苦労させられた30年間でしたが、それ以上に生きてることへの喜びを感じる瞬間もあります。今はコロナ禍で難しいですが、好きなアイドルのライブに行ったり、美味しいものを食べたり、友だちと喋ったり。何気ないことが幸せで、そういう時間も生きてこそだと思うので……」

熱狂的な群衆
写真=iStock.com/bernardbodo
※写真はイメージです

母親は、いつも井上さんに「ありがとう、ありがとう」と言ってくれるが、父親からはこれまで一言も感謝の言葉はない。

「父がどう思っているか、本当のところはわかりませんが、精神科病棟で最期を迎えるのは父の性格からして不本意だと思うので、徘徊できないレベルまでがんが進行すれば、緩和病棟に戻してあげたいと思っています」

井上さんを支えてきたのは、大好きなアイドルのライブに行くことだった。父親の介護があるため、思うように行けなかったが、「ライブに行くんだ!」という希望があるだけで頑張れたという。

「現実の生活の中心は介護だとしても、せめて心の中くらいは楽しいことを中心に考えるようにすることで、辛さや苦しさを乗り越えてきたように思います」

井上さんは、現在、やりたい仕事で収入を得、父親を介護し、父親の借金を返済している。

「いつか父親の介護が終わったら、長期旅行へ行き、死ぬほどライブへ行きたい。自分で稼いだお金は自分に使いたい。そして思う存分、自分の時間を自分のために使ったら、恋愛もして、結婚もできたらいいかなと思います」

「コロナ禍」をきっかけに、働き方・生き方を考えた井上さん。「ピンチはチャンス」と言われるように、「逆境の状況」を「絶好の機会」と発想を転換して乗り越えることができる人は、本当の意味で強い人だと思わずにはいられない。

他人の手や助言を受けることは必要なことだが、どんなにつらく苦しいときでも、その状況に甘んじるのも打破するのも結局は自分次第となる。それが現実だ。

ヤングケアラーはじめ、現在わが国では介護の問題が山積しているが、当事者たちはそれが解消されるのを、指をくわえて待っている余裕はない。現状から目を背けずに、冷静にひとつずつ解決していくしか道はないのだ。

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