ノンフィクション作家の吉川ばんびさんは、十数年以上、兄から家庭内暴力を受けていた。吉川さんは「『なぜ警察に通報しないのか』と思うかもしれないが、逮捕されてもそのうち戻ってくる。そのときの報復を家族全員が恐れていた。家族の誰かが兄に殺されるか、誰かが兄を殺すか。そのどちらかに至る恐れがある」という――。
暗い廊下でうずくまる少女
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法律が適用されない「家族」というコミュニティ

人を殴ったり金を脅し取ったりすれば、刑事事件の加害者となり、罪を償う必要がある。この国では、そんな当たり前のことが保証されない、いわば被害者の人権がほぼ「無」に等しいコミュニティが存在する。社会で最も小さな集団ともいえる、「家族」のことだ。

過度に「家族関係」を重んじる日本では現状、加害者と被害者の間に血のつながりがあるというだけで、第三者間で起こる同等の犯罪に比べて被害が表沙汰になりにくいほか、被害者が勇気を出して被害を訴え出たとしても、ほとんどの場合、解決には及ばない。

例えば虐待やDV、家庭内での性暴力、家庭内暴力などがこのケースにあたる。虐待や夫婦間のDVは世間的な認知が進みつつあるものの、行政や第三者の介入などで解決されるものはごく一部であって、家庭内の被害は通常、外からはまったく見えないようになっている。

かくいう私自身もこの「家族」からの被害に、十数年以上も悩まされ続けた一人だ。

いくら殴られようと「家族間の問題」

私が育った家庭では、子どもの頃から暴力が当たり前のように存在していて、特に兄からの暴力は中学に上がる頃からどんどん深刻になっていった。気に入らないことがあると腹いせに私や母を殴り、蹴り、髪をつかんでひきずりまわし、ひどいときには馬乗りになって首を絞めることもあった。

首に添えた手に体重をかけられたとき、私を見下ろす兄の目は赤く血走っていて、今度こそ本当に殺されるかもしれない、と思った。恐怖を感じるよりも早く、首から上の血の流れが止まっている感覚で満たされていき、苦しさを感じたあとは頭がフワフワとして、意識が途切れそうになる瞬間に、兄は突然、手の力を緩めた。おそらく私が抵抗しなくなったことで驚いたのか、兄はそのとき、かなり動揺している様子だったのを覚えている。

兄は頭に血が上りやすく、一度カッとなると自分で自分を制御できなくなり、疲れ果てるか、倒れるまで暴れる習性がある。だから家の壁は穴だらけで、家具や部屋のドアは壊れて使い物にならないものばかりだった。

私が学校やアルバイト先にいるときでも、関係なく「お前、今からすぐ帰ってこい。帰ってこないとぶっ殺してやるからな」と電話がかかってきて、帰っても帰らなくてもどのみち気の済むまで殴られることは分かっていたから、被害を最も少なくするために、素直に授業や仕事を切り上げて、理不尽な指示に従うしかなかった。

24時間365日、いつ因縁をつけられたり殴られたりするか、金を脅し取られるかわからない生活に疲れ果て、私と母親は少しずつ、極限まで追い込まれていった。