被害者が加害者のケアをするという最悪の“解決策”

家から逃げられずに暴行を受け続けていた当時、「もう兄を殺すしかない」と考え続けていたことを、私は今でも、あながち間違いではなかったと思っている。うちにはいつも金がなく、壊れた家具を買い直す金も、設備を修理する金も、兄から逃れるために必要な金も、どうしても用立てできなかった。

日常的に暴力や支配を受け続けていると、人は正常な判断ができなくなってくる。「私も働くから一緒に逃げよう」と提案しても、母親はかたくなに拒否するばかりで、ああだこうだと言い訳を並べて、行動することをあきらめていた。もう何をしても無駄だ、と言わんばかりに兄の要求に従う母親は、いつも疲れ切っていた。そのうち私は「母親が自殺するのではないか」と思うようになり、なんとかして問題を解決できないかと、あれこれと思考をめぐらせるようになった。

家庭内暴力
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絶望的だったのは、虐待や夫婦間の暴力に関しては、行政が児童相談所やシェルターなどと連携を取り、被害者にある程度の逃げ道が用意されているにもかかわらず、子から親、きょうだい間の暴力となった途端、現実的な解決策がほとんどないことだった。

家庭内暴力の解決方法を調べると、だいたい「息子の家庭内暴力に悩んでいる」という被害者のクエスチョンに対して「息子さんの本当の思いを粘り強く聞いてあげましょう」とか「息子さんを病院に連れていき、治療を受けさせるべき」という専門家のアドバイスが次々と出てくる始末で、暴力を受けている「被害者(=親、きょうだい)」を救済する道筋を示す答えはどこにも書かれていない。それどころか、被害者に対して、加害者のケアをするよう促すという最悪の提案しか出てこないありさまである。

家族だからといって「当事者間の問題」で片付けていいのか

精神科医の斎藤環氏が「家庭内暴力は、いかに息子のことを否定せず、反論しないかが最も大事である。とにかく言うことをすべて聞いてあげるべき」と何度も発言しているのを見たときには、今まさしく被害を受けている立場としては「そんなのもうとっくにやっていて、しかも、それだと暴力が激化していくばかりなのだが」と、怒りと諦めの感情をあらわにせざるを得なかった。

そもそも、加害者に治療が必要な場合でも、体が自分よりも大きく、とうてい力ではかなわないうえ、対話もできない相手をどうやって病院へ連れて行けというのだろう。睡眠薬でも飲ませて、体を縄で縛り付けて、無理やり車に乗せろとでも言うのだろうか。結局その答えは、どこにも書かれていなかった。

もしも加害者と被害者に血のつながりがなく「赤の他人」であれば、被害者は、自分に危害を及ぼした加害者へのケアをするよう世間から求められただろうか。もしも「赤の他人」なら、警察に暴力被害を申し出たときに「当事者間の問題ですので……」などと、やんわり介入を断られることがあるだろうか。

血のつながりがある場合のみ、加害者の責任が被害者にもあるというのは、あまりにもおかしい風潮ではないだろうか。