「良いニュース」の文化を創るには

フェイクニュースにどう対峙たいじするかはインターネットとニュース業界全体の課題です。フェイクに対して、ファクトチェックをして「正しい事実」を伝えれば問題は解決するというのは、人間の認知をめぐる科学的知見から考えれば甘すぎるくらい甘い発想です。それで問題は解決するなら、とっくに解決しています。ファクトチェックは対症療法にすぎないと僕は思うのです。

石戸諭『ニュースの未来』(光文社新書)
石戸諭『ニュースの未来』(光文社新書)

この先も技術的な進歩とともに、新しいフェイクニュースやプロパガンダは洗練されていくでしょう。そのときに、より根源から向き合うには信頼の醸成、つまり「文化」がインターネット時代のニュース業界にとっても不可欠になります。文化を創るというのは地道な積み上げです。短期的な合理性をある程度捨てるためには耐える時間も必要です。長く続けるために将来に投資をすることで、その人や、そのメディアにしかできない代替不能な価値をもたらします。これは長期的に考えれば合理的な選択であると言えるのではないでしょうか。

短期の競争に追われるのと、長期的な活動とどちらが良いでしょうか。僕はすぐに消費され尽くさない「良いニュース」を継続して世の中に送り出したいと思っています。そのような人たちが増えてほしいとも思っています。ここから先は、小手先の技術論が必要だという人たちには相当物足りないものになるでしょう。

インターネットという時代の転換点をもたらしたテクノロジーが進展する時代において、「良いニュース」とは何か、という考察を深めてきました。僕自身もこうした考えにすぐたどり着いたわけではありません。いくつかの手痛い失敗、インターネットの理想に燃えた過去と「現実」に向き合った結果としての敗北、そしてあらゆるメディアと関わるという選択――。すべての実践が学びであり、同時に「良いニュース」への試行錯誤でした。

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