五輪開会式を見た7327万人の多様で複雑な心境

賛否両論が渦巻くなか、東京オリンピックが開幕した。

2021年7月23日、東京五輪の開会式で五輪マークが登場し、花火が打ち上げられた木製の国立競技場
写真=dpa/時事通信フォト
2021年7月23日、東京五輪の開会式で五輪マークが登場し、花火が打ち上げられた木製の国立競技場

ビデオリサーチの推計では、オリンピック開会式をリアルタイムで視聴したのは日本全国で約7327万人に達したという。この数字をもって、開催前から言われていた「いざオリンピックが始まれば、事前の反対も忘れてみなテレビにかじりつくはず」という主張の正しさが裏づけられたようにも思える。大衆はしょせん「パンとサーカス」に弱く、彼ら/彼女らの感情的な意見にいちいち耳を傾けても仕方がないといった意見も耳にする。

しかし、テレビの前の人たちが何を考えていようと、とにかく数字さえ稼げればよいというのは、統治者かプロモーターの発想でしかない。7327万人という数字の背後には人びとの多様かつ複雑な心情が隠されているはずだ。

オリンピックにまつわる全てを受け入れるのでも、全てを拒絶するのでもなく、複雑な思いを抱えながらテレビに映し出されるパフォーマンスを眺めていた視聴者はかなりの数に上るだろう。多くの人が「絶対賛成」にも「絶対反対」にも振り切れない、そうしたあいまいさのなかで迎えたのが、今回のオリンピックなのだろうと思う。

マスコミは五輪の利害関係者

そして、オリンピックを報道するマスコミもまた、そのようなあいまいさから完全に逃れることができていない。

もともと現代のオリンピックは、徹底した「メディア・イベント」だ。つまり、マスコミで報道されることを前提に開催される非日常的なセレモニーである。そこでマスコミに期待されるのは「第三者の立場から出来事を報道すること」ではなく「イベントを成功に導くこと」だ。

日本民間放送連盟とNHKによって構成されるジャパンコンソーシアムが巨額の放映権料を支払っていることも含め、オリンピックの盛り上がりはメディアビジネスに直結している。しかも、東京オリンピックでは全ての全国紙が「オフィシャルパートナー」もしくは「オフィシャルサポーター」に名前を連ねている。言わば、マスコミはオリンピックの利害関係者なのだ。