悪天候を予想した気象予報士が脅迫を受ける理由

取材に行こうか行くまいが批判が起きるのは、言うまでもなくネットの声が一つではなく、それぞれに別のユーザーが別の角度からマスコミ批判を行っているからだ。

また、取材活動への嫌悪は、あくまで相対的なものだということも考えられる。もっと嫌われる人物や組織が注目を集めると、取材への嫌悪よりも情報に対するニーズが上位にきて「なぜアイツに取材しないのか」という不満が出てくることにもなる。

報道陣に取り囲まれインタビューに答える男性
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さらに、大規模災害時のように、人びとに大きな心理的ストレスがかかる状況下では、マスコミへの批判が強まりやすくなる。社会心理学の分野で指摘されるのは、「悪い知らせを伝える者は疎まれる」ということだ(ロバート・チャルディーニ『影響力の武器(第三版)』誠信書房)。

その例として、古代ペルシャでは戦いに勝利したことを伝えた伝令は盛大にもてなされた一方、敗北を伝えた伝令はその場で殺されたという逸話や、悪天候を予想した気象予報士が非難や脅迫を受けるという状況が挙げられる。感染拡大について悲観的な予想をした専門家が誹謗中傷に晒されるというのも、その例に加えて良いだろう。

悪い知らせはニュースバリューが高い

他方、マスコミュニケーション研究で繰り返し指摘されてきたのは、良い知らせよりも悪い知らせのほうがニュースとしての価値(ニュースバリュー)が高いとみなされる、ということだ。

オリンピックで自国選手が金メダルを獲得したというほどの強いインパクトがない限り、良い知らせは「良かったね」で終わってしまう。それに対し、悪い知らせは、より多くの人びとのより強い関心を引き寄せられる。「マスコミは文句ばかり言ってくる」という批判が生まれるのも、こうしたニュースバリューの性質に原因の一端があるように思われる。

これを先の「悪い知らせを伝える者は疎まれる」という現象と足し合わせると、大規模災害や感染症拡大のような状況下において、マスコミはどうしても批判されやすくなる。悪い知らせに起因するストレスが、それを率先して伝えてくるマスコミに移し替えられてしまうのだ。