※本稿は、島田裕巳『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
米国人ジャーナリストがイスラム法学者に学んだ本
数年前、文藝春秋の知り合いの編集者から依頼を受けたことがあった。まだ刊行されていない英文の本の草稿を読んで、刊行する価値があるかどうか、意見を述べて欲しいというのだ。
その本は、“If The Oceans Were Ink” by Carla Powerというものだった。
著者はアメリカ人で、ジャーナリストだが、イギリスのオックスフォード・イスラム研究センターで働いていたときに、イスラム法学者のムハンマド・アクラム・ナドウィーという人物と知り合い、彼のもとで、『クルアーン』を学んだ。その過程で経験したことをつづったのが、この本だった。
私はさっそく本の草稿を読みはじめたが、興味深いもので、一気に読んでしまった。そして、刊行の価値があると編集者に伝え、翻訳者についても宗教学研究室の後輩を紹介した。
それは、2015年9月に『コーランには本当は何が書かれていたか?』(カーラ・パワー、秋山淑子訳)として文藝春秋から刊行された。
アクラムというイスラム法学者は、ナドウィーという姓が示しているように、インド生まれで、イスラム教における女性の学者たちの業績を追う研究をしていた。著者のパワーは、アクラムの生まれ故郷であるインドまで一緒に出向いたこともあった。
「髪を染めたい」と言ったイスラム法学者の娘
私がこの本を読んで、とくに印象深く思ったのが、あるエピソードだった。
イスラム教には、キリスト教のカトリックや仏教とは異なり、世俗の生活を捨てた聖職者というものは存在しない。神父や僧侶にあたる人物はいないのだ。
したがって、イスラム法学者であるアクラムは俗人であり、結婚し、家庭生活を営んでいる。子どもも6人いるが、すべて娘だった。
娘の一人が、髪を染めたいと思うようになった。そこで、父にお伺いを立てた。髪を染めることはイスラム教の教えに反していないかどうかというわけだ。
父親のアクラムは、決して厳格な原理主義者というわけではない。娘が目のところにスリットが入ったニカーブを被って登校しようとしたときには、それが本人の意思なのかどうかを慎重に確かめている。アクラムは、ニカーブを被る必要はないという考えだ。
ところが、髪を染めることについては賛成しなかった。
娘の方は、どうしても髪を染めたいと考えていた。
で、どうしたのか。
娘は、父親とは別のイスラム法学者のところへ行き、意見を求めた。すると、そのイスラム法学者は、髪を染めてもかまわないという見解を示した。そこで娘は、髪を染めることができたというのである。
これは、別の医者にセカンド・オピニオンを求めるようなものだが、イスラム教の特徴的なあり方を示す興味深いエピソードだ。私は、そのような印象を受けた。