元公務員も覚醒剤の運び屋に
筆者が支援に携わった元暴(50代)の人は、この方法で覚醒剤を国内に持ち込んで逮捕されている。その手口等を、筆者が支援の際に参考にした「犯罪概要」から見てみよう。
本人と共犯者3名A~Cは、元暴で反社周辺者(筆者の解釈)Dらと共謀の上、営利の目的で、覚醒剤を輸入しようと策略。外国内において、覚醒剤をポリ袋に入れ、透明な粘着テープで球状に巻くなどして175包に小分けした上、A、Bがこれを飲み込んだり肛門から挿入したりしてそれぞれの体内に隠したほか、全員が履いていた靴の中に隠して国際線に搭乗し日本に密輸を試みた。4人は、空港内にある税関支署入国旅具検査場の携帯品検査で覚醒剤所持を職員に発見されたという。
なお、この犯罪事実に対し、元暴である本人は次のように供述している。
「当該覚醒剤は中東の○○国製であり、直接輸入する予定であったが、手違いで東南アジアのマフィアに渡ってしまい、そこを経由して仕入れることになった。報酬は40万円で、10グラムに小分けされた袋状の物(ビニール製キッチン手袋の指の部分に10グラムの覚醒剤を入れ、ミシン糸で上部を縫って二重にテーピングしたもの)30個のみ込んで犯行に及んだ」。犯行を振り返り「長期の受刑と引き換えに高い外国旅行になった」と述べている(現地の動物園などに行っている)。
この「本人」とは、もともと公務員。十数年勤務し、中間管理職に就いた頃に、職場で上司との確執が原因で傷害事件を起こして離職の末、暴力団に加入している。しかし組織の方針が自分の考えと合わずに離脱し、何度も転職をする生活を送りながら、一方で詐欺や窃盗などの犯罪を重ねていた。
手荷物密輸スタイルと受け渡しのリアル
最近は、台湾や中国から覚醒剤が大量に船で密輸される。オーソドックスな密輸方法を、かつて薬物の運び屋だったという人の証言を紹介する。
当時、外国から持ってきた薬物は、二カ所の県に下ろす必要がありました。これは、日本に着いてから振り分けられます。大体、朝の到着便で成田に帰国します。運び屋は東京駅で薬物を受け取り、そのまま運ぶという段取りですから、至ってシンプルなんですよ。長い間、これでうまくまわっていた。
外国では、お土産品をダミーで買います。お茶などのお土産を入れておかないと、税関で疑われるから、必ず目いっぱい荷物を詰め込むようにしています。お土産代は、出国する時に、密輸組織から10万円もらうんです。この内、1万円でお土産を買ってから9万円を懐に入れてもいいんです。
私が運ぶときは、薬物を下ろす県の引き渡し場所にある車のナンバー、車種と色を、電話で聞くようにしていました。駅前に行くと、その車がパーキングに停まっている。そして、4ドアの車で、必ずドアの一つが空いている。私は、そのドアの最も近い場所にカバンを入れて、ドアをロックして一件落着となるわけですよ。このとき、運転席のドアが開いているからといって、助手席に乗せたらダメ。運転席なら、運転席の上か下に置くというルールがありました。
密輸組織は、あの手この手を駆使し、神経をすり減らし、苦労して覚醒剤を密輸している。その苦労のかいがあるほど、日本社会では覚醒剤で稼げるのだ。
ブドウ糖や家畜用の興奮剤を混ぜた0.5グラムの白い粉に、虎の子の1万円を支払うということは、われわれには理解しがたい。その答えを知るには、覚醒剤中毒者の声を聞く必要がある。
後編では、覚醒剤を購入して使用している人は、なぜそれに手を出し、使用し続けたのか。覚醒剤使用者の貴重な声をお伝えする。