魚を使わない「大精進のだし」

これもある時のこと、京味で食事をしていたら、カウンターの片一方には外国人の4人組がいた。全員、ヴィーガン。つまり完全な菜食主義者だから玉子も食べられない。むろん、鰹節で取っただしの料理も食べることはできない。

京味
撮影=牧田健太郎

西は大精進おおしょうじんの料理を出した。豆腐、湯葉、野菜料理である。もともと京味は野菜料理が多いので、魚介の料理をやめればそれで済むんじゃないかとわたしは思っていた。ところが、大精進の料理はただ、野菜を並べればいいわけではない。基本のだしを精進だしにしなければならないのである。

精進だしとは何か。料理の本を読むと、こんな説明が載っている。

圧倒的な技術と引き出しの多さ

「精進だしは昆布やわかめ、干し椎茸、干瓢、大豆、小豆などの植物を数種類、水に浸けて取っただしなので、さっぱりとした薄味で野菜の甘味を感じます。干瓢や干し椎茸の成分であるグルタミン酸やグアニル酸が旨みを出すほか、原料に使った植物の甘味成分などがだしの旨みとなります。素材の味を活かす控えめなコクと風味が特徴です」

うまみの主体は昆布と椎茸だろう。しかし、両方を入れれば椎茸が勝つ。干し椎茸のだしの味はかなり強烈だから。

西が使う精進だしはまったく違う。

「煎り米と昆布だけです。うちには外国人の菜食主義の人がよう来ますから、その時は大精進で料理を作らなきゃ仕方ないでしょ」

昆布だしが主体で、米を煎って、風味をつける。椎茸、大豆を入れた雑多なだしでは、透明で香ばしいだしは取れない。既存の精進だしの取り方を知っている人はいるだろう。しかし西がやっている大精進のだしは本に載っているそれとは全然、違うのである。

プロでも、大精進の、おいしいだしを取ることのできる料理人は何人もいない。

調理技術は圧倒的だ。しかも、引き出しが多い。こうした技術を会得して、しかも使うことのできる立場にいる。

「皿に載せたら完成」ではない

三番目の特徴は料理の完成をどの時点に置いているか、である。料理の味のピークをどこだと考えているのかとも言いかえることができる。

京味
撮影=牧田健太郎

一般の料理人が言う、料理の完成は皿に盛りつけた時点だ。つまり、調理が終わり、出来たてのものを皿に載せた時を完成としている。

だが、西はそうは思っていない。彼が味をピークに持っていくのは皿に載せた料理を客の前に出して、客がほれぼれと見つめて、香りをかいで、そうして、一口食べた時点だ。

客が食べた時に味のピークが来るように考えて調理をしている。それも、カウンターで食べる人と個室で食べる人とをちゃんと分けている。