整合性が全くとれていないことに気がつかないのか
「東京オリンピック・パラリンピックと全国高等学校野球選手権大会では、外国からの選手や関係者、報道陣の流入の有無や、開催に伴う国内の医療機関、医療関係者への負担の大きさといった点で、事情が異なっていると考えています。
そうした点も踏まえ、今年の選手権大会の開催については現在、日本高等学校野球連盟とともに準備しながら新型コロナウイルス感染症の国内における状況を慎重に見極めています」
しかし、6月2日に日本高野連と朝日新聞社は、「全国高校野球選手権大会(8月9日開幕、甲子園)の臨時運営委員会をオンラインで開き、新型コロナウイルス感染で全国大会にチームとして出場できない場合は代表校差し替えを行わない方針を決めた」(日刊スポーツ6月2日19時42分)
開催を前提として突き進んでいるところは、菅首相と何ら変わるところがない。
夏の甲子園はコロナ感染拡大の前から、酷暑の時期を避けるべきだ、ドームのある球場に移転させろという声があったが、朝日新聞は「熱中症には気を付けましょう」というだけで、休養日を1日増やし、準決勝の開始時間を少し早めた程度で、ほとんど聞く耳を持たなかった。
東京五輪は止めろ、夏の甲子園はやるというのでは、ジャーナリズムとしての整合性が全くとれていないことに、頭が良くて上品な朝日文化人たちは気がつかないのだろうか。
開催されれば美辞麗句を並べるに違いない
一度、意を決して東京五輪中止を主張したのなら、社説だけではなく、あらゆる紙面を使って、連日、即刻中止せよといい続けなくては、単なるアリバイ証明でしかなかったといわれるに違いない。
それは、「五輪開催 海外の視線は『83%が反対、すごい数字』」(朝日新聞デジタル6月3日 7時00分)や、声欄に作家・赤川次郎の「五輪中止 それしか道はない」を掲載することだけではない。
尾身茂会長が指摘している言葉は、そっくり朝日にも当てはまる。夏の甲子園を、「こういう状況で何のためにやるのか、目的が明らかになっていない。関係者がビジョン、理由を述べることが極めて重要」なのである。
菅首相は、7月中に何が何でも高齢者へのワクチン接種を終わらせろと厳命している。グズグズしている自治体には、地方交付税を所管する総務省交付税課長から、群馬県太田市の市長などに、「日付けを指定して迫った」(サンデー毎日6/20日号)という。
東京五輪は開催するという妄執にとりつかれた菅を止める者は誰もいない。そして開催されれば、テレビは選手たちの熱い闘いを無節操に放映し、スポンサーの大新聞も毎日、「感動をありがとう」と歯の浮くような美辞麗句を並べて紙面を埋めるに違いない。菅の高笑いが聞こえてくるようだ。