多摩大学大学院名誉教授の田坂広志さんは32歳のとき、医師から「もう命は長くない」との宣告を受けた。絶望の淵に追いやられたが、そのときある寺の禅師から一つの言葉を与えられたことで「救われた」と振り返る。一体どんな言葉だったのか――。

※本稿は、田坂広志『運気を引き寄せるリーダー 七つの心得』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

手を壁にあてる男性
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「戦争・大病・投獄」の体験が経営者を大成させた

我が国においては、戦後、経営者に向けて一つの警句が語られていた。

それは、次の警句である。

「経営者として大成するには、
三つの体験のいずれかを持たねばならぬ。
戦争か、大病か、投獄か」

この言葉が教えているのは、要するに、「優れた経営者になるためには、生死の体験を持て。その体験を通じて、深い死生観を定めよ」ということである。

第一の「戦争」は、前話で紹介した経営者のような、ぎりぎりの「生死の体験」である。

第二の「大病」は、かつて「死病」と呼ばれた「結核」である。

第三の「投獄」は、戦前や戦時中、思想犯として捕まるような「投獄」である。実際、小説『蟹工船』で知られる文学者の小林多喜二は、思想犯として捕まり、特高警察の拷問によって殺された。そうした時代の後に語られた警句である。

たしかに、我が国において、戦後、活躍された経営者を拝見すると、この3つの体験を持たれた経営者は、少なくない。

例えば、本書の第二話で紹介した、元住友銀行頭取の小松康氏は、戦時中、海軍に徴兵され、水兵として乗船していた巡洋艦・那智が、敵機の攻撃によって撃沈された。艦から海に投げ出され、波間に浮かびながら、沈みゆく夕日を見て、死を覚悟したとき、奇跡的に味方の艦船によって救助されたという体験の持主である。

第二話で述べた「運の強い奴だよ!」という小松氏の言葉は、実は、小松氏自身が、生死の境で、その「強運」に救われたという体験が語らせた言葉でもある。

ダイエー創業者も、元伊藤忠商事会長も、稲盛和夫氏も…

また、やはり筆者が深い縁を得た経営者、ダイエー・グループ創業者の中内㓛氏は、さらに極限の戦争体験を、その自叙伝において、次のように語っている。

「私は、中内軍曹として、敗戦を迎えた。
自分の目の前で、多くの戦友が死ぬのを見た。
突撃の一言で、勇敢な人ほど死んでいった。
私は卑怯未練で、生き残った。
その無念の思いが、いまも私を、
流通革命に駆り立てている」

さらに、元伊藤忠商事会長の瀬島龍三氏。

山崎豊子の小説『不毛地帯』の主人公にもなった経営者であるが、この瀬島氏は、シベリア抑留11年の体験である。それは、いわば「戦争」と「投獄」の同時体験でもあったが、その過酷な体験を11年、与えられた。

そして、「大病」という体験では、京セラ・名誉会長の稲盛和夫氏も、元セゾン・グループ代表の堤清二氏も、若き日に結核を患っている。

このように、たしかに、戦後、活躍された経営者を拝見すると、この三つの体験を持たれた経営者は、珍しくない。