嵐、TOKIOに続きV6までも…
そして、ジャニーズ事務所には誰もいなくなった。
25年も続いてきたV6が今年の11月1日をもって解散することを発表した。
「嵐」が事実上の解散を発表(昨年末で活動休止)、TOKIOも山口達也の逮捕で活動を休止しており、長瀬智也が退社することが決まっている。
2019年にジャニー喜多川社長が亡くなってからは、中居正広、元関ジャニ∞の錦戸亮、元NEWSの手越祐也などが次々に事務所を離れてしまった。
そしてV6もとなると、ジャニーズ事務所は存続していけるのだろうか。私のような反ジャニ・ウォッチャーでも心配になる。
「嵐」の解散のきっかけは大野智の「嵐を辞めたい」というひと言だったが、V6のきっかけは森田剛(42)が2019年暮れごろに、退所を申し出たことからだったという。
それから年末まで三宅健(41)を中心に話し合いをしてきて、「6人でなければV6ではない」というごく当たり前の結論になり、解散が決まったと週刊文春(3/25日号)が報じている。
V6はジャニー喜多川に選ばれた6人組だが、坂本昌行(49)、長野博(48)、イノッチこと井ノ原快彦(44)の年長組を「トニセン」、森田、三宅、岡田准一(40)が「カミセン」と2つのユニットからできていた。
デビュー曲『MUSIC FOR THE PEOPLE』をリリースしたのは1995年、一世を風靡した光GENJIが解散した翌日に「お披露目会見」を六本木のヴェルファーレで行ったという。
全員バク転ができ、ダンスはジャニーズ随一
週刊文春で当時を知る芸能記者がこう話す。
「フジテレビが独占放送していた『バレーボールワールドカップ』のイメージキャラクターとして結成され、後に同企画から嵐やNEWSもデビューしています。最年長の坂本と最年少の岡田は9歳年が離れた異色のグループで、トニセンとカミセンに分けたのはジャニーさんのアイディア。二手に分かれて活動できるようにと考えたようですが、初期のトニセンは完全に若手三人の引き立て役でした」
森田と三宅はジュニア時代から「剛健コンビ」として人気を博していたそうで、将来を悲観した坂本などは、サラリーマンに転じたこともあったという。
結成前にバレーボールの企画で呼ばれた坂本が、コーチの仕事と勘違いしていたという「逸話」も残っているそうだ。
だが、運動神経は抜群で、メンバー全員バク転ができ、ダンスの腕前はジャニーズ随一だそうである。