弁論が下手だったから有罪になったソクラテス

いずれにしても現代社会に生きる人間は、その時々の場面でどういう論法で人を説得するか、どうすれば誤った方向に向かう議論を軌道修正できるか、ということの成否でその人の人生は変わってくるでしょう。

ソクラテスが有罪になったのは、弁論が巧みでなかったからとも言われています。どんなに理屈で相手をやり込めたところで、相手が納得してくれなければ有罪になってしまうのです。「理屈は自分の方が正しい」と言ってみたところで意味がありません。コミュニケーションの成否は、人の心を動かせるか否かにかかっています。

古代ギリシアにおいて巧みな言葉の技術、弁論術を必要としていたのは、政治家と法廷弁護人だけでした。あとの人は、奴隷か自由民です。自由民というのは奴隷を働かせて遊んで暮らしている人なので、言論の技術を身につける必要はありません。

ですが、現代人はみな何らかの組織に属しています。上司の無理難題で機嫌を損ねることなく回避できるかどうか、組織において成功できるかどうか、自己実現できるかどうかは、その人の言論の技術にかかっています。ということは、現代人は古代ギリシアの言論の技術を学ばなければいけないわけです。

別に誰もが弁舌巧みにならないといけないということではありません。組織内のコミュニケーションにおいて、相手はどういう論法できているのか、どういう心理状態にあるのか、自分はどういう論法を使うのがいいのか、明確に語るのがいいのか、ほのめかすのがいいのか、ということを深く考えることが大事であるということです。

「レジってどんな機械なんですか?」にどう答えるか

単なるプレゼンテーション・スキルを磨くこととは違います。正論を言えばいいというわけでもありません。コミュニケーションとは、説得することではなく、相手の納得をどう獲得するか、ということなのですから。

「説得とは何か」を知るために役立つ一冊の本を紹介しましょう。それは、『ビジネスマンのためのマーシャール』(山本七平/講談社/1988年)という本です。

これは「マーシャール」という言葉が気になって購入したのですが、これが実に面白い本でした山本七平は、山本書店に営業にきたナショナルの伝説の営業マンの話を書いています。当時出たばかりの「金銭登録機(レジスター)」を売りに来たセールスマンT氏に、あまり無視するのも失礼かと思い、ある日、「あれは、どんな機械なんですか」と漠然とした質問をしたことがありました。

レジスター
写真=iStock.com/gyro
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そうするとT氏は「人間を正直にする機械です」と答えたというのです。山本はこの妙な返事に「そりゃどういう意味ですか」と聞き返しました。この時点で山本はもう相手のペースに乗せられていました。

さらにT氏は説明の最後に「いわばせっかく造った商品も、この最後の段階を全うしなければ生かされないわけですから、商品の使命を達成させる機械ともいえます」とも言ったといいます。詳しいことは省きますが、後にT氏がナショナルの伝説のセールスマンと呼ばれたのもむべなるかな、と思える話です。