競争相手が多い土俵で戦うのは得策ではない

そして一橋大の商学部に入ってわかったのは、予想以上に多くの学生が公認会計士を目指していることだった。私も入学してしばらくは公認会計士という進路をぼんやりと視野に入れていたが、思っていたよりも競争相手が多いので、同じ土俵で戦うのはあまり得策ではないと考えるようになった。では、このなかでいかに目立つか──つまり、どうすれば就職活動をより有利に戦えるかを考えたとき、浮上してきたのがメディア界隈の仕事だった。

幸いなことに「一橋大学商学部」という学歴は、メディア界隈では「よくわからんが、東大に次ぐレベルにある、在京の国立文系大学だよね? だったら、そこそこ仕事もできるんじゃないの」という評価につながったらしい。就職倍率の高い会社が勝手にそう思ってくれたことに加えて、優秀な学生が軒並み公認会計士試験を受けてくれたため、少なくとも同じ一橋大の学生間における競争では倍率が下がり、私は無事、博報堂に入ることができた。

理系に反論するタイミングをはかる

文系でありながらも「理系的思考力」を持つということは、たとえばいま述べたように「この分野であれば、自分は余裕で戦える」という感覚で進路を選んだりできることである。別に難しいことではない。どう立ち回れば将来的に有利か。状況を見てどう判断するのか合理的か。そんな視点から物事を考えることを意識的におこない、習慣化してしまえばいいのだ。

今回のコロナ騒動についても、前出の永江氏や私は文系でありながらもデータを駆使することが得意なだけに、理系的思考を土台にして状況を捉えている。「文系は黙れ!」と理系から断じられる筋合いはない。

さらに付け加えるなら、文系愚民が「ははーっ、理系の賢者様!」とひれ伏しているインチキ臭い理系の専門家に対し、「データを咀嚼できる力」と「利を得る嗅覚」と「口だけは達者」という“理系的思考ができる文系の人間”らしい能力を使って、ためらうことなく対抗することが重要だと、私は考えている。

さて、コロナ禍をどうするか。理系の連中はさんざんエラソーにしてきたが、いいかげん、文系から明確な反論をしてやってもいいのではないか。私は「そろそろ自分が利を取れるか、まだそれは早いか」と時機を読みながら、理系に勝てる瞬間を待っている状況である。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・ある情報に触れたときに理解が進まないのは、自分が理系か文系かではなく、「自分のいまの生活や関心事に関係があるかどうか」で見る目にバイアスをかけてしまっていることが原因。
・コロナ禍の影響で、文系の人々が持つ理系コンプレックスが強まっている印象がある。
・“理系の専門家”をあがめるような気運が高まっているが、理系人材も万能ではない。彼らの言うことを盲信するのは危険だ。
・文系の人間が理系的思考を身につけたければ、まずは「自分はどう立ち回れば、将来的に有利か」を考えるところから始めてはどうだろう。
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