コロナ禍以外に関心事はないのか?
昨今の出来事のなかでもっとも人々の関心が高いのは、やはりコロナ禍だろう。この1年ほど、メディアではコロナ関連の話題に膨大な時間や紙幅が割かれている。人の命に関わるトピックだから大衆の関心が高いのも当然といえば当然。そのため、メディアでは医師やウイルス研究者をはじめとした理系の人々がたいへん重宝されている。
テレビのワイドショーなどを見ていると、もはや人々の関心はコロナ以外にないのではないかと思えるほどの状況だ。もっとも、制作サイドは視聴者のニーズに当て込んでコンテンツをつくり、したたかに数字を取っていくのが仕事である。だから、コロナ一色に染まっている現状は、つまり視聴者が望んでいることであるともいえる。
今年1月初旬、日本のノーベル賞受賞者4人が共同声明を発表。医療崩壊への憂慮を語るほか、PCR検査のさらなる拡充など政府への提言をおこなった。それを踏まえて、声明に名を連ねた専門家のうち2人──本庶佑氏と大隅良典氏が『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)に出演し、視聴者に金言を提供してくれた。
この放送の最中および終了後、「ヤフーリアルタイム検索」ではこの2人に対する称賛の声が多数書き込まれる一方、番組のレギュラーコメンテーター(理系ではない)の話が「無駄に長い」など多数の批判が書き込まれた。
コロナ禍で煮え湯を飲まされ続ける文系
私はこの動きを眺めながら、なんともいえない気持ち悪さをおぼえていた。ノーベル賞受賞者がうったえる冷静な指摘には、私もそれなりに納得した。しかし、彼らの言葉に感銘を受けた多くの人々が、返す刀で「ノーベル賞受賞者に比べて司会者やコメンテーターのなんと浅薄なことか」「理系でもない門外漢のくせに、知ったような口をきくな」などと感情的な反応をぶちまけていたのである。
まあ、私も日ごろテレビを見ていて、コメンテーターがクソみたいな発言をしていれば一視聴者としてイラつき、嫌悪もする。だから、多くの視聴者の反応についても、その気持ちはわからなくもない。でも、コロナ以降の「理系の専門家でもないゴミ文系はとにかく黙れ」と高圧的に口封じをするようなムードには、どうしても馴染めないのだ。
この1年ほど、文系の批評家やコメンテーターは煮え湯を飲まされ続けてきた。文系が何を言っても「理系の専門家様に異議申し立てをするのか!」と批判されるのだ。かくいう私も、そうした批判を投げつけられた一人である。