自分の競争優位性から進路を判断

トロフィー獲得後も数学・物理については常に学内でトップだったこともあり、イリノイ州の「学力競技会」的な大会に母校ブルーミントンハイスクールの代表として選抜され、数学部門と物理部門で戦った。残念ながら、州で1位にはなれなかったが……。

こうした経験を経て、「さて大学はどうするか?」と考え始めたとき、アメリカの大学で理系学部に進んでもいいかな、とまずは思った。だが、私のような理系的思考をする人間は、こう考える。

「大学で困らない程度の英語力は持っているが、ネイティブではないのでやはりディスアドバンテージはあるだろう。それに、白人が幅を利かせているアメリカという国で、黄色人種である自分が勝てる可能性は少ない。それよりも『英語ができる日本人』として日本に戻るほうが、自分の人生にとっては有利な選択に違いない。アメリカに戻るのは将来でいい」

この場合の理系的思考とは「自分はどれだけこの分野で有利に立ち回れるか」について、競争の激しさを軸に考えられることなのだ。それを踏まえると「クソみたいな英語教育しか受けていない日本の高校生と比べて、圧倒的な英語力を持つ自分であれば、日本の大学で競争に勝てる」ということは明確だった。

中川氏の高校時代の物理ノート。数式や図表がビッシリと書き込まれている(著者提供)
中川氏の高校時代の物理ノート。数式や図表がビッシリと書き込まれている(著者提供)

商学部を選択した理由

日本の大学に進学すると決めて、なぜ私が理系を選ばなかったのか。振り返ってみると、父の助言がすべてだった。

「お前は数学と物理は得意だが、恐らくその分野に進んでも研究者になるしかない。カネを稼ぐという面ではあまり得策ではないだろう。むしろその記憶力を活かして、司法試験か公認会計士試験を目指すほうがいい」

父のこの言葉で、私は理系を捨てた。そして、法学部か商学部、経済学部に行くのもアリだと考えるようになった。最終的には「いくら記憶力がよくても、法律には何の興味もないからな」と思い至り、商学部に進むことを決めた。

なお、その判断を下すに際しても、理系的な合理的思考が働いている。こんな具合だ。

・東大の経済学部は難しい
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・仮に入学できたとしても、東大では経済学部より法学部のほうが格上である。就職活動をするにせよ、国家一種試験を経て官僚になるにせよ、東大経済学部は東大法学部よりも評価が下になるといわれている
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・であれば「経済学部」におけるナンバー1の東大、ナンバー2の京大には存在しない、「商学部」を選択し、そのナンバー1大学に入学すればいい
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・一橋大学は商学部が“看板学部”ということになっており、日本の商学界においてはステイタスがもっとも高いとされている
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・よし、そこに入るとするか!