センスがある人の近くにいると、センスは開発される

センスは先天的に備わっているものではありません。生まれたあとに身につけて、磨いてきたものです。ただし、その磨き方に教科書はありません。自分で磨くしかありません。

擬似的な開発方法として知られるのが、昔ながらの徒弟制度です。将棋や落語の世界で、師匠の家に住み込む内弟子などはその典型です。ビジネスの世界でも、昔は「かばん持ち」といって経営者や上司についてまわる育成方法がありました。

その場合、師匠や上司は、何かを教えたり訓練させたりしません。いろいろ雑用をやらせながら、その間に自分の仕事ぶりを見せているだけ。それでも我流で勉強するより、誰かの弟子になったほうが確実に高いレベルまで成長しました。

センスがある人の近くにいると、自分のセンスも磨かれます。言語化や数値化ができない何か、五感で受け取るしかない何かがセンスということでしょう。こうした擬似的な開発方法しか見つかっていないのがセンスです。

弟子入りするのは、必ずしもリアルな人間である必要はありません。たとえば、古典的な名著をたくさん読んだり繰り返し読んだりする。すると、著者のものの見方や思考方法、文章の書き方といったセンスの部分を感じ取り、吸収することがあります。

「スキルとセンスは別物。プレゼンテーションは上手くても話が面白くない人はいますよね」
撮影=西田香織
「スキルとセンスは別物。プレゼンテーションは上手くても話が面白くない人はいますよね」

“異性にモテるためのスキル”はない

人間は放っておくと、スキルが大切だと思うようになります。「TOEIC850点」とか、「Excelのマクロ関数を使える」とかのスキルを身につけようと考える。

履歴書に記載できて、他人に示しやすいスキルは多くの人が手に入れようとします。ところがセンスはそう簡単には示せません。「私は優れたビジネスセンスの持ち主です」と書いても、うさんくさく思われるだけです。だから、他人に説明しやすいスキルに走ってしまうのです。

たとえば、世の中には女性にむちゃくちゃモテる男性がいます。一方で、まったく女性にモテない男性もいます。そのモテない男性が「自分も女性にモテたい」と思ったときに、“モテるためのスキル”があると勘違いしたら悲劇のはじまりです。

モテる男の服装やしぐさを真似してみたり、同じクルマを買ってみたり、よく利用するデートコースを調べたりした結果、ますますモテなくなる。そういう痛い男は、昔は“マニュアル君”と呼ばれました。

マニュアル君には、モテる男性のセンスがわかりません。そもそも「あいつがモテるのはスキルではなく、センスがいいからだ」と気づいていない。これが「センスがない」ということです。ビジネスの世界でいえば、ファイナンスの知識とスキルは豊富なのに、投資の意思決定が的外れなCFOみたいなものです(笑)。