競争戦略から見たハガキの価値
私は年間に100通以上のハガキを投函します。年賀状ではありません。ふつうの白いハガキです。
知り合いから著書が送られてきたらお礼を書いて送る。誰かと会食したら翌日に送る。ちょっとした時間ができたときに、ハガキに一言「ありがとうございました!」と書くだけです。家には100枚ぐらい常備し、カバンにも入れて持ち歩いています。
ハガキはコミュニケーションツールとして依然として有効です。物理的に存在感があって目立つので、よほど私のことを嫌いな人でない限り見てくれます。しかも電子メールと違って相手が返信する必要もないので気軽ですし、手書きなので気持ちが伝わる。考えてみれば、有形物が63円で全国どこでも数日で届くのは安いですよね。
電子メールを使うのが一般的になったからこそ、手書きのハガキを使うことの価値が高まるのです。言い換えると、一見不要なものほど意味があることがある。
私の研究分野は、経営学のなかでも競争戦略です。他社ができない・やらないことをする。これが競争戦略の本質です。すなわち、顧客から見れば「希少性」です。
これは仕事のスキルにも当てはまります。仕事に就けば、好むと好まざるとにかかわらず、競争にさらされます。直接的・間接的の違いはあっても、働く人は誰しも、大なり小なり競争にさらされる。この事実を忘れると問題の本質を見失う恐れがあります。
ここでは文章能力を例に、希少性について説明しましょう。
人に読ませる文章はかつて専門領域だった
ネット上にある記事は、ページビューなどの数字を稼ぐほど利益につながります。
いまみなさんが読んでいるネット記事も、そういうビジネスモデルです。そのため刺激的でキャッチーなタイトルや構成で、いかに記事を量産できるかが勝負どころとなります。
裏返せば、文章の品質は二の次。電車のなかや休憩中といったすきま時間に、スマホで読まれる記事はなおさらです。
ネット上には日々、膨大な量の文字情報がアップされています。それらの文章はパソコンのワープロソフトやエディタで作成されるのがほとんどです。
ワープロやパソコンが普及する以前はみんな手書きでした。とくに雑誌記事など、不特定多数の人に読ませる文章は原稿用紙にペンで書き、紙に印刷されるものでした。
かつて多くの人々が読む活字になる文章を書くというのは特別の能力でした。作家、学者、記者など、文章の書き方を訓練した人たちの専門領域と見なされていました。ところが、パソコンとインターネットが普及すると、手書き時代に比べてコストがうんと安くなり、文章の供給量は爆発的に増えます。