アフターコロナには不要のように見えるスキルほど価値が高まる

その結果、何が起きたか。日本語の文章は、全体的に品質が劣化しはじめました。定型的な言い回しやコピーペーストが横行し、レベル低下が進みます。これは文章作成の仕事が増え、にわか仕立てのライターが増えたという供給と、隙間時間で「サクッと」読み流すという需要がかみ合った結果です。

「私ごときの文章力では50年前だったら勝負にならなかったと思う。おかげさまで書きもので暮らせるようになりました」
撮影=西田香織
「私ごときの文章力では50年前だったら勝負にならなかったと思う。おかげさまで書きもので暮らせるようになりました」

取材などで、ライターさんが私にインタビューして原稿をまとめることがあります。いわゆる聞き書きです。ところが、名刺の肩書はライターなのに、腰が抜けるほど文章作成能力が低い人がいます。その原稿を受け取り、時間をかけて全面的に書き直しながら、「初めから自分で書けばよかったんじゃないか」と思うことが何度もありました。昔と違って、ライティングがプロフェッショナルとしての意識をもってやる仕事ではなくなった証拠でしょう。

現在はちょっとまともな文章を書けるだけで「あの人、文章がうまいね」となります。これが希少性です。市場で「不要不急」と見なされたスキルが、希少ゆえに価値を高める。こうした競争市場のロジックで考えると、「アフターコロナには不要のように見えるスキルほど価値が高まる」という逆説が成り立ちます。

話すと“感じがいい人”は強い

一例として、オンラインが当たり前になった今後は、リアルな対人コミュニケーションがますます重要になってくるように思います。

リアルに会って話すとものすごく“感じがいい人”がいます。部屋に入ってきた瞬間に場の空気がなごんだり、挨拶した瞬間に心地よさを感じたりする。相手が目の前にいるときは、オンラインとは違って多くの気づかいが必要です。そういう対人スキルは「これからは不要」と見られがちですが、だからこそ希少性があって価値を高めるのです。若いセールスマンだったらいまのうちにガンガン外回りをやっておくと良いかもしれません。

会議でいえば、いま着目すべきは、オフラインのリアル会議です。オンライン会議は万能ではありません。経験した人は、「便利な点もあるけど、やっぱり集まらないとダメだな」と感じることがあったでしょう。

私の経験でいうと、オンライン会議は決定事項の伝達や承認には問題なく使える半面、ブレスト会議のようにアイデアを出し合ってディスカッションする場合は不向きです。インタビュー取材を受けるときも、オンラインだと内容が薄くなるという実感があります。これは、五感で受け取る情報量が少ない、という問題だけではなさそうです。

おそらく脳の機能や認知構造に原因があるのではないか、と私は考えています。誰かと画面を通して話す状況は、脳にとってリアルではないのかもしれません。オンラインコミュニケーションの内容があまり記憶に残らないことも、そう考える理由の1つです。