ニトリ1号店を立ち上げたのは67年、23歳のときでした。なぜ家具屋だったのか。別にほかの商売でも構わなかったのですが、家具屋をやれば食べていけるかもしれないと思ったからです。八百屋や金物屋だとすでに競争相手がいたけれど、家具屋だけはそのエリアになかった。そこで親から100万円の借金をして、30坪の店をオープンしました。
2号店を出したあとの72年、生まれて初めてアメリカに行きました。「アメリカの家具研修」というセミナーに参加したのですが、そこで出合ったアメリカの圧倒的な「豊かさ」に、僕は衝撃を受けました。僕の人生観が変わった大事件です。
当時の日本は、すでに「1億総中流家庭」が実現されつつあり、モノは十分にあふれかえっていました。戦後の貧しさから脱却し、豊かな国になりつつあると誰もが感じていた。ところがそんな思いを裏切るかのように、アメリカ人の生活の豊かさは圧倒的でした。すでに日本人の給与所得は、アメリカに並びつつあるのに、生活のレベルはどうしてこうも違うのだろう。アメリカのこの「豊かさ」は一体どこからきているのだろう。
理由は、日用品全般の価格の低さにありました。日米の給与は一緒でも、アメリカの物価は日本の3分の1。スーパーマーケットや家具店に入っても、値札を気にすることなくカートに放り込むことができる。「買い物が楽しい!」と純粋に思える素晴らしさ。
僕の一生の目標は、このアメリカ研修で決定しました。
「日本人の住生活を豊かにしたい」
「そのために、誰もが買える価格帯の商品を作りたい」
日本人の給料を3倍に引き上げることは、僕にはできません。しかし、3分の1に引き下げることならできる。そうすれば結果的に、日本人の生活はいまの3倍は豊かになるはずです。
アメリカはいまの「豊かさ」を120年かけて築き上げた。けれどもその文化を真似すれば、僕たちはその半分の60年で「豊かな生活」を実現できるはずだ。
僕はそれを生涯の目標に据えました。
帰国後、ペガサスクラブに入会した僕は、店舗運営、マネジメント、財務にかかわる数字など、あらゆることを学びました。渥美先生から教わったことのすべてをこの場で語り尽くすことはできませんが、なかでも2つ、先生から学び、実際にニトリ経営で実践してきたことをお話ししようと思います。その1つは、「人材教育」について。もう1つは商品の「流通革命」についてです。
「人材とは、人間でいうところの骨格である」。企業は人材で決まるのだから、そこがなおざりになっていると、企業経営は立ちゆかないというのが、渥美先生の持論です。