「お値段以上」のCMで知られるニトリの快進撃には、ダイエー、イトーヨーカ堂、イオンを経営理論面から支えた賢き先達の指導があった。社長自らの言葉で綴るニトリとペガサスクラブの足跡。
<strong>ニトリHD社長 似鳥昭雄</strong>●1944年、樺太生まれ。北海学園大学経済学部卒。67年似鳥家具店創業。72年ニトリ(現・ニトリホールディングス)設立。2002年東証一部に上場。早稲田大学で今春寄附講座開講。経営コンサルタントの故・渥美俊一を師と仰ぐ。
ニトリHD社長 似鳥昭雄●1944年、樺太生まれ。北海学園大学経済学部卒。67年似鳥家具店創業。72年ニトリ(現・ニトリホールディングス)設立。2002年東証一部に上場。早稲田大学で今春寄附講座開講。経営コンサルタントの故・渥美俊一を師と仰ぐ。

人生の大師匠、渥美俊一先生に出会ったのは、僕が32歳のころのこと。わずか30坪の家具店から始めたニトリを6店舗まで増やし、売り上げも15億円出すまでにはしたものの、行き詰まっていた時期でもありました。

当時はまだ、「店舗数拡大は5店舗までが限界」という世間の常識がまかり通っていた時代です。それ以上増やすと、管理が行き届かなくて倒産するといわれていた。そんなある日、渥美先生が書かれた本に出合ったんです。

いまでこそ、ダイエーやイトーヨーカ堂、イオンといった大規模展開のチェーンストアは日本でも馴染みのあるものになりましたが、当時、その経営を側面から支え、日本におけるチェーンストアを促進してきたのは、渥美先生です。

「チェーンストアは11店舗目から始まる」。これが先生の持論でした。最低基準が11店舗で、そこから100、200、1000店という数を建てなければ、お客さんが本当に求めている品質や機能、ましてや安さは実現できないと力説されていたのです。まさに目から鱗の衝撃。感動した僕は、即座に渥美先生主催の研修セミナー、ペガサスクラブへの入会を希望しました。1977年のことです。

渥美俊一という人はどういう人か。

とにかく恐ろしい人でした。僕たち研究生は、自分の事業を成功させるために通っているわけですが、とにかく怖い。

「毎月1回、嫌な話を聞きにこい」といわれるのですが、聞かされる話はすべて耳が痛いものばかり。自分が実行していないところをどんどん突いてくる。必死に勉強して食らいついていく日々でした。

人生において師をもつことは大切です。それも厳しければ厳しいほどいい。その後、ほかのコンサルタントの方ともお付き合いがありましたが、結局は物足りなくなって自分から離れていきました。

ほかの先生は褒めてくださるんですよ。

「ああ、いいですね、いいですね」と。でもコンサルタントは決して顧客を褒めてはいけないんです。「ここも、あそこも問題だ」と、ズバズバ弱点を突いて、こちらの知らないことを教えてくれる存在でなければいけない。人間、「褒めてほしい、褒めてほしい」と願っているうちが華で、褒められるようになったらおしまいです。いい気になって我流で進むようになったら、必ず失敗する。

その点、渥美先生は最後まで厳しかった。絶対に褒めてくれない。

親父代わりとも呼ぶべき恐ろしい大師匠、渥美俊一先生との出会いがなかったら、現在の僕もニトリもありません。

(取材・インタビュー 佐藤ゆみ 構成=三浦愛美 撮影=奥谷 仁 写真提供=ニトリ、柴田書店)