そもそも女子医大が「外科のブランド病院」になれた理由
2018年、東京医大などで「医大受験における女性受験者や多浪生への減点操作」が発覚して大問題となった。減点操作の理由としては「女医は総じて外科など体力的にきつい診療科を回避する傾向がある」ことなどが挙げられている。ならば、卒業生が全員女性の女子医大が、昭和時代に「外科のブランド病院」と成り得たのはなぜか。
当時はドラマ「白い巨塔」のような封建的な医局制度が健在だった。医大卒業生の大部分は慣習的に母校の附属病院に就職していた。「東京出身だが、地方医大や私立医大に進学し、卒業後は東大病院に就職」したような医師は「外様(とざま)」と呼ばれ「東大卒→東大病院」の「生え抜き」医局員と比べて冷遇されることが多かった。
2019年、文春オンラインが元女子プロレスラーでタレントのジャガー横田氏の夫である木下博勝医師の「病院職員への度重なるパワハラ」を報じた。木下氏は「杏林大学卒→東大病院第一外科」という典型的な「外様医局員」のキャリアパスである。木下氏の研修医時代には「白い巨塔」そのままだった外科医局において、自身も壮絶なパワハラを受けてきたことは想像に難くない。パワハラや児童虐待などは、かつて被害を受けた者が、後に加害者になるパターンがあるが、このケースだったのだろうか。
このような白い巨塔の時代において「東京で外科医になりたいけど、冷遇されるのは困る」という若手医師の受け皿になったのが、女子医大付属病院だったのだ。自校卒業生が外科に就職したがらないのを逆手に取り、「外様差別がないので、教授になるチャンスは平等」であることをウリに、元気な若手男性医師を集めていた。
女子医大に在籍する男性教授の夫人の多くは女子医大出身者
また、女子医大は「開業医の一人娘」のような医大生が多く、筆者の女医ネットワークによれば、彼女たちは「都内サラリーマン家庭出身で地方の国立大医学部に進学した後、都内病院に就職」といった男性医師と結婚するケースが数多く見受けられた。
昭和時代、政治家や開業医の一族では、「パッとしない息子を無理やり後継者にするよりも、娘婿に優秀な男を選んで継がせる」という作戦で門閥を維持するケースが散見されたが、女子医大は結果的に、これを大学レベルで行っていたようなものと言えなくもない。
女子医大に在籍する男性教授の夫人は女子医大出身者であることが多いため、女子医大病院に勤務する男性医師が交際していた女子医大生をポイ捨てしようものなら、女子医大OG会である「至誠会」の面々(教授夫人など)に呼び出されて懇々と諭される、という伝説も昭和時代には存在した。