格闘家の現役時代は華やかだ。大観衆の視線を集めてたびたびリングに立つ。だが引退後のキャリアは明確ではない。なぜ多くの格闘家がそのような状況に陥ってしまうのか。自身も現役引退後、1年間は無職を強いられたという大山峻護さんに聞いた――。
引退試合で桜木裕司選手と対峙する大山峻護氏
写真=大山氏提供
引退試合で桜木裕司選手と対峙する大山峻護氏

次のキャリアを歩み始めるまでに、約1年もの時間を要した

いま筆者の目の前には、かつてセカンドキャリアで困難に直面し、人生の荒波に溺れかけた男が座っている。元総合格闘家の大山峻護さん(46)だ。

かつてPRIDEやK-1などのメジャー団体で、ミルコ・クロコップやピーター・アーツなど、当時の格闘技界を彩ったスーパースターたちと拳を合わせてきた大山さんも、2014年12月に現役を引退してから、次のキャリアを歩み始めるまでに、約1年もの時間を要した。

なぜ大山さんは、次のキャリアを歩み始めるまで1年もの時間を要してしまったのだろうか。プロの総合格闘家が、1年間で試合をすることができるのは、おおよそ2~3試合だろう。

仮に4カ月に1試合を行うとすると、その4カ月間の間に、前の試合で負ったダメージを回復させ、自身の課題に合わせた身体能力の強化や技術の習得、次の対戦相手の研究などを行い、さらに試合前になると過酷な減量を行う場合もある。

また多くの選手はファイトマネーだけでは生活することができないため、アルバイトをしながら、格闘技の世界で成り上がりを狙う。目の前の試合を一つひとつクリアした先にある栄光を夢見て日々鍛錬を積み重ねる格闘家が、競技活動と並行しながら、セカンドキャリアを見据えた行動をとることは想像以上に難しい現実があるのだ。

スポーツ界が社会と断絶している理由

人は自分と共通言語を持っている人と接点を持つことが多い。特に、スポーツで上を目指して長く競技を続けていると、いつの間にか社会と断絶した存在になってしまうことがある。特異な世界の中での生き残ったものの集まりであるがゆえに、いわば「方言」のような言語で会話する仲間たちだけで作られた社会こそがスポーツ界であり、それが「ムラ社会」と言われるゆえんだ。

引退した選手の中には、タレント活動を行ったり、指導者になったり、ジムを開設したりと、競技生活の中で培った能力を活かした道へ進む人もいる。

しかし、その選択肢はあまりにも少ない。タレントは誰もが進める道ではないし、ジムの開設には、資金面や立地、集客などさまざまなハードルがある。この点について大山さんも「引退して何をやろうかと考えたとき、選択肢があまりにも少ないことに気がついた」と過去の経験を振り返る。

このように格闘家がセカンドキャリアで苦境に陥ってしまう原因の1つは、格闘技界に組織的なバックアップ体制が整っていないことが挙げられるのではないだろうか。

例えば、Jリーグでは、選手のキャリアデザインを支援するため、教育研修、就学支援を行ったり、セカンドキャリア支援窓口を設けたりしている。またNPBは、2019年に戦力外や現役引退となった選手の60%が球団職員・スタッフなど、NPB関係の仕事に従事しているように、チームスポーツの場合は、引退後のキャリアを支える仕組みが徐々に整えられてきている。

しかし、格闘技はチームスポーツではないため、選手を支える仕組みが整っていないのが現状だ。大山さんも、セカンドキャリアに直面する格闘家の苦境を「いきなり泳げと言われても、泳ぎだすことは難しい」と独自の表現を使いながら話す。