象牙の塔からの「ポルノみたいな扱い」

ただ、葛藤はあった。アカデミズムの中にずっといると、論文を書くことだけが正義で、一般向けにわかりやすく物を書く、なんていうことは、どぎつい言い方をすれば、象牙の塔で暮らす先生方からはポルノみたいな扱いをされてしまうのだ。メディアに出るのももちろん、同じ扱いである。あいつは悪魔に魂を売った、と後ろ指をさされる。

冷静に考えれば、不思議な現象だ。

むしろ教授陣に文字通り性を売りながら論文を書く方が普通にポルノだと思うけれど、昭和をひきずるアカデミックの基準では、そうではない。メディアに出る人に向けられる視線はさらに厳しいかもしれない。大衆向けの商業主義に加担するとは何事か、と眉をひそめる先生方が今でもかなりの割合でいらっしゃることだろう。

けれど、「大衆向けの商業主義に加担してはならない合理的な理由」とは何だろう。先生たちに都合のいい考え方をすれば、私にも思いつくのだろうか?

科学の誤った理解を助長するのがけしからん、というなら、ご自身がもっと教育・啓蒙活動をすればいいだけではないかと思うが、「そんな時間はない」ようなのだ。つまり、優先順位は低いということになる。

それならば、私のことなど放っておけばいいようなものだが、情動の強さや攻撃の激しさを考えると、そうでもない、らしい。

セクシャルハラスメントと書いた文字を、鉛筆についた消しゴムで消そうとしている
写真=iStock.com/Kameleon007
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時間とコストをかけて戦うなんて、どう考えてもバカバカしい

別に私からは、先生方がテレビに出ても、商業主義に加担した、資本主義の手先、などと古臭いコミュニストみたいなことを言ったりはしない。積極的に、お出になればいいと思う。

ただ、論文をどれほど書いていても、スタッフを自分の部下であるかのように扱ったために、コミュニケーションがうまくとれなくなってしまったり、説明の仕方が高尚過ぎていまいち伝わりにくかったりするようであれば、すぐに呼ばれなくなってしまう、そんな世界に、ナイーブな先生方は耐えられないかもしれない。

ともあれ、いつしかアカデミズムの世界は、単なる時代遅れの男性原理の象徴としか感じられなくなってしまった。もちろん、いまだ誠実に奮闘している人もいると思うし、全員を否定するつもりは毛頭ない。けれど、私自身は、生まれついての性別で、既にハンディキャップを持っている状態だ。

そんなもの跳ね返せ? いやいや、わざわざそんなアウェイの競技場で、一体何のために必死になってプレイする必要があるというのか? 給料も言うほどよくはなく、出世すればするほど女の魅力に乏しいねと揶揄やゆされる。自分の意地のため? そんなくだらないもののために、時間とコストをかけて戦うなんて、どう考えてもバカバカしい。