ネットが捉えきれない複雑でファジーな“匂い”
不登校に陥りやすい子供たちは、多様な価値観が許容されるコミュニティー経験に乏しいことが多い。
平等を掲げ、均一を是とする価値観を押し付けられると、どうしていいかわからなくなりやすい。適応の程度によって序列化されることを嫌い、引きこもるようになる。
ネットは窮屈な現実に辟易する子供たちの前に開けたいわば別天地である。ネットやゲームのコミュニティーにひとたび入り込めば、いかような生き方も許される自由があり、常に主人公であり続けられる楽園が広がる。
労せずして脳の快楽中枢を満足させうるのである。しかし、そこは多様性に富むように見えて、パターン化された関係の繰り返しの世界でしかないことに思い至らない。
ネットの情報はほぼ視覚情報に特化しているが、人の視覚はたった4個しかない受容体の組み合わせで情報を認識する。その単純さゆえ、簡単に人をわかった気にさせてしまう。
しかし、視覚は自然の一部としての人間の営みを表面的にしか把握できない。
いまだファジーさをAIが取り扱えないことからもわかるように、ネットはファジーさを本質とする自然の把握にさほど有効な手段ではないのである。
実は鳥類を除くほとんどの動物は視覚以外の感覚で世界を把握している。例えばネットが苦手とする嗅覚情報は、人間で400、象に至っては2000もの受容体の組み合わせで把握される(東原和成東大教授)。
それによって認識される世界は、視覚だけで感じ取る世界よりはるかに豊かで奥深いはずである。息子の顔を認識できない認知症の老人でも匂いには正しく反応することはよく知られている。
実際、人と人との触れ合うコミュニティーはさまざまな匂いに満ち(ほとんど無意識だが)、それが相互の深いつながりを生んでいる。
電気信号でしか結ばれないネットの世界は本当の自然からほど遠く、貧しい。ネットから子供たちを取り戻さねばならない。
睡眠負債のSE、2万通のメールでうつ状態に
毎日4~5時間の睡眠で仕事してきたSEはいわゆる睡眠負債で頭が働かなくなり、1カ月の休みを取ることになった。
長年の睡眠負債は1カ月程度で解消できるものではないが、チームの責任者である本人の希望に沿って、出社してよいとの診断書を書いた。
しかし、いざ出社してパソコンを開いたら、ざっと2万通ものメールが届いているのを見て再びうつ状態となり、休むことになった。
情報は増やす分にはほとんどエネルギーが要らないが、削除するのに膨大な労力を人に強いる。
例えば、コピー機で大量に情報を複製するのも、ネットで情報を拡散するのもボタン一つでできるが、そのすべてを消し去るのは容易なことではない。
ツイッターやSNSで、画面の向こうの素性も知れない相手にこちらの情報を、時に自分の裸の写真まで添えて投稿してしまうのも、動かずして英雄になれるネットゲームにハマるのも、さしたる労力を使わないからである。
ネット空間において情報は川が流れるように自ずとエントロピー(乱雑さを表す物理量)増大へと向かう。
結局、増やしすぎた情報を削除するというエントロピー減少の作業に、人の営みは費やされるようになる。
いったい2万通のメールのほとんどはどうでもいいものだが、似たようなものの中に重大なものも混在し、あっさりまとめて削除とはいかない。
そもそも情報が多すぎて、まともに重みづけができないのである。