※本稿は、遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
「先輩が怖くて仕事に行けないんです」
20代の保育士が父親とやってくる。先輩が怖くて仕事に行けないという。父親は職場の連中に問題ありと言いたげである。
彼女は通常6人の幼児を世話しているが、正規職員なので保育士全員のリーダーでもある。40歳も年上で主任経験のある再雇用者や、パートのママさん保育士など、子育てを経験し、保育の仕事に自信のあるベテラン保育士たちを時には指揮しなくてはならないのである。
年の離れた弟はいるものの、一人娘で大事に育てられた彼女には、母親よりも年上の先輩たちの言葉がきつく感じられるようなのだ。同期3人のうち1人は最近辞めてしまい、もう1人は別の部門である。
いまや若者は、どの職場にも少ない。先輩たちに大事にされて伸びていく若者も無論いるが、苦手な上司や同僚に出くわすと、たちまちへこたれるひ弱な若者が少なくない。先輩の保育士たちは、彼女のたどたどしい仕事ぶりに、つい一言注意したくなるのだろう。
特別意地悪されているわけではなさそうだが、祖母にも溺愛された彼女はそれを耐え難い厳しさと受け取ってしまうようだ。
今日の他罰的風潮では、これを職場いじめやパワハラといった文脈に当てはめて説明しがちである。別の似たようなケースでは労災の申請もなされている。
若い保育士の彼女は見るからに人が好さそうで、しかもなかなかの美形である。一所懸命に仕事をしていることも確かなようだ。それ故、休養を要すとの診断書を書く時も父親と同様、つい肩入れしたくなった。
しかし、彼女が仕事に行けなくなったのは、どうやら食物アレルギーのある子供に普通のミルクを飲ませそうになり、先輩から酷くなじられた一件が影響しているようだった。
それは、逞しく生きてきたであろう熟年女性にしてみれば当然の注意だった可能性が拭えない。