「豊かさ」が困難に立ち向かう逞しさを奪う

結局、いじめが原因では、という父親の言い分は採用せず「原因は特定されない」と説明した。

安易にいじめの可能性ありと意見書など出されれば先輩たちも心穏やかではあるまい。場合によっては配置転換になるだろう。

昨今の日本の娘たちは美形になっている。日本の豊かさがもたらしたものであろうが、その豊かさは同時に、娘たちから困難に立ち向かっていく逞しさや強かさを培う機会を奪ってしまったのではないか。

そのことが、相互に大して悪意がないにもかかわらず面倒な対立関係に至りやすくさせている一つの原因ではないだろうか。

その昔、貧しい日本の子供であった私は、好きな子の誕生日にはプレゼントをするものだと西洋かぶれの教師から教わった。クラスの可愛い女子に渡そうと、四つ葉のクローバーを校庭で探し、見つけた瞬間、力の強い生徒に横取りされた。返せとつかみかかったが、突き飛ばされ、鼻血まで出すことになった。

四つ葉で何をするのか聞かれたくなかった私は、担任に黙って帰宅した。

鼻血の跡を見据える母に、上級生に殴られたと言ったら「この世は甘くないことを教えてくれたんだから、その子に感謝しな」と、理由を聞こうともしなかった。

突き放すような言い方の裏に、お前はこれくらいのことでへこたれるようなひ弱な子ではないはず、との思いがあったのだろう。私は学校を休もうとはしなかった。もし母親がこの件で立腹し、学校に怒鳴り込んでいたなら、私は恥ずかしくて登校できなかったであろう。

日記に「殺す」という文字が……

20歳に届かない娘が職場のストレスで眠れないとやって来る。

彼女は大きな通販会社に勤めている。一人変わった上司がいて、何かと些細なことで注意をしてくる。そのくせ妙になれなれしく、猫なで声ですり寄ってきたりもする。

それがストレスで、会社に行きたくないが、ここで辞めるのも癪だから頑張っているのだという。

その上司は、気になる女子にちょっかいを出すいじめっ子に似ているのだろう。

彼女は腰まで届きそうな長い髪を持ち、色白で細面の美形である。口呼吸の多い最近の若者に似ず、きりりとむすばれた口、吊り上がった目尻、内面はややきつそうである。

彼女には男の横面をひっぱたいてやるのが似合いそうだが、今日では勧められない。

人と人との関係は、仲の良し悪しにかかわらず心理パワーゲームでもあるから、質の良い睡眠をとって元気力を培っておくこと、職場で孤立しないようにし、さらに上の上司にも相談することを勧めた。

とはいえ、しつこく付きまとう輩を遠ざけるのはそう簡単ではない。ひとまず、依存性のない睡眠薬とストレス緩和に役立つ漢方薬を処方する。

何度目かの外来で、彼女は顔を腫らし、目をぎらつかせてやってきた。

誰かに殴られたのではなく、その上司から不本意な注意を受け、悔しくて、更衣室のロッカーに自ら顔を打ち付けたという。

結局、会社では誰にも相談せずにいたようだが、日記帳を取り出し、私に読んでほしいという。

読み進むと最後に「殺す」の一言があった。まさか実行に移すはずはなかったが、彼女の内面の情念の激しさに驚かされた。