不注意からパソコンにウイルスが感染し、会社の情報を漏洩させてしまった会計係の女性は、道端に捨てられたバナナの皮を目にしただけで不安に駆られるようになった。精神科医の遠山高史氏は、「社会の複雑化が心の底にある不安を増大させ、あり得ない妄想を生むようになった」と警鐘を鳴らす──。

※本稿は、遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

公園の地面にバナナの皮が落ちている
写真=iStock.com/Olexandr Kazinskiy
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なぜ人は火事が起こると現場を迂回するのか

精神を病む人々は、しばしば自分のせいではないことで、罪を負わせられることに著しい不安を示す。その不安は、関係のない出来事にあえて自分を結び付けるように働くことがある。

例えば近所で火事があると、自分が火をつけたと疑われることから逃れるため、現場をわざわざ迂回して通ろうとする。次第に自分が放火犯と噂されていると思い込み、引きこもるようになる。

こういう思い込みは「関係妄想的念慮」と言い、特定の精神病に特有の症状とされるが、最近さまざまな精神的な危機状況で起こりやすくなっている。

悪いことが起こるとその情報を自分に引き寄せ、あり得ないような関係付けをしてしまうのである。

こういった心理は、誰しもの深層心理にある不安によって引き起こされる。社会が複雑化しすぎて、善悪の判断が難しくなり、時にはメディアの増幅機能によって、些細なことで思わぬ責任を背負い込まされることもある。

そのことが人々の心の底の不安を増大させている。

そもそも、起きてしまった事件について行われる裁判も、提示された証拠を基に判決が下されるが、提示されない真実は無数にあり、新しい証拠が加われば事件の責任の所在も変わる。

良かれと思ってしたことで訴えられ、予想外の責任を取らされることもある。そこで、予めできる限りの予防線を張ることになる。

昨今の契約書が、うんざりするほど細かく取り決めてあるのも、事が起きた時に責任から逃れるための工夫であり、社会の複雑化の表れであろう。