落ち度のない事故でハンドルが握れなくなった

まだ私が公立病院に勤めていた頃の話である。ある日、真面目なタンクローリーの運転手が「一睡もできず、車に乗ると激しい動悸が起こる」と受診してきた。

その2年前、彼が運転していたタンクローリーに、診察を終えて帰宅途上の患者が、自殺を図って道路脇から飛び込んだ。

病院前の車道での出来事だった。幸い少し肩が触れた程度で、転倒による打撲で済んだが、次の日、運転手を雇っている小さな運輸会社の社長がやってきて「医療費を払うから、事故扱いにしないよう、家族に話をしてもらえないか」と求めてきた。

運転手に落ち度がなかったとしても、人身事故となれば免停は免れない。

運転できない者に給与は払えないが、もともと真面目な奴で、子供の学費やローンも抱えており、首を切るのは忍びない、というのであった。

飛び込みは若い医師の診察直後の出来事で、病院側にも責任が無いとは言えず、私から家族に話をして事故扱いとはならずに済んだ。が、話はこれで終わらず、運転手はこの一件以来、運転に過度の緊張を感じるようになってしまった。

どんなに安全運転を心がけても、まさかの事故は起きる。それによってあわや生活の糧を失いかねないことに、恐怖を覚えたのである。真っ当に生きていても、降りかかる災厄はあるのだ、と。

彼は、日々最悪の事態を想定し、絶えず対処を心がけるようになった。

例えば、体調不良に悩む人は最悪の病、癌(私はそう思っていないが)ではないかと思い込みやすく、過剰なまでに検査に通う。

これを「不安障害」と言うが、かかる対処行動自体が、大きな心理的負荷となって本人を消耗させていることが多い。

「過剰な警鐘」が生む不安障害という心の病

運転手は、交通ルールに過剰なほど忠実に、必死の思いで運転することになったが、これが心理的ストレスにならないわけがない。

特に彼のように真面目すぎるタイプは、最悪の事態を思い描きながら、眠れぬ夜を過ごす。しかも、運転手であり続ける限りストレスは持続する。

それに対処し続けることが彼の脳を疲弊させパニック様の発作を伴う不安障害を起こしたのである。彼が再び運転できるようになるまで実に1年半を要した。

ストレスは、その強弱にかかわらず、むしろ持続によって、ほとんど致死的な有害事象に変ずることが動物実験で証明されている。

例えば、ストレス下で放出される副腎皮質ホルモンは、ストレスへの防御たんぱくの生産を促進するが、長くその状態でいると細胞を疲労させ、逆に毒性を帯び始め、ついに脳の記憶形成を担う海馬の細胞死をもたらすことが知られている。

遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)
遠山高史『シン・サラリーマンの心療内科 心が折れた人はどう立ち直るか「コロナうつ」と闘う精神科医の現場報告』(プレジデント社)

防御するはずのホルモンが有害物質に変化するのは、自然の玄妙さの一つの表れといえる。自然という予測不能の事象の集まりに対処するため、脳は文明を生み出し、ルールを作って警鐘を鳴らす。

しかし、その行為が行きすぎると逆に有害な事象を招いてしまうのだ。

メディアはありとあらゆる警鐘を発信し、人を不安に陥れる。針小棒大と感じつつも、それらに対処しなければ不作為懸念が生じ、事態の修復を上回るほどの膨大なエネルギーを使って対処することとなる。

昨今、夥しい数の不安障害患者が出現している。

予測不能の自然を克服しようとする脳の試みは、情報過多を生み、脳自身がかかる過剰な情報処理に耐えられず、不安障害に陥ってゆくのである。

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