「議場」とは名ばかりの会議室

だが、光が多いところには影もある。

姫島の観光誘致策には、大きなイベントが多い。例えば、夏になると子どもたちがキツネのお面をつけて踊る盆踊りが開かれる。国の無形民俗文化財にも指定されている伝統行事だが、その裏では開催が近づくと残業を強いられる職員たちの苦労がある。それなのに、箸の上げ下ろしまで厳しく指導する昭夫のやり方に耐え切れず、役場から逃げ出す者は少なくない。

また、絶対的な権力は絶対に腐敗する。

私は昭夫に役場の中を一通り案内された。

2階にある村長室の近くに「議場」と表札のかかった一室があった。

扉を開けると、がらんどうだった。部屋の中央には安っぽい長机をつなぎ合わせ、「ロ」の字にされていたが、これでは議場というよりも会議室だ。私がこれまで訪ねた町や村で見てきた、「自治の殿堂」たる議会の重々しい雰囲気とは大きく異なった。

昭夫にとって村長就任後から18年がたったそのころから現在に至るまで、議会なんてあってないようなもので、数ある会議のうちの一つに過ぎないのだと私は悟った。

迂回融資疑惑、そして最大のナゾは

村議の1人によると、議会では質疑も一般質問もなく、執行部提案が原案通り可決されて1日で閉会するという。32年間で質問に立った議員はのべ7人しかいない。

2012年、村が漁協の関連団体に貸し付けた3500万円が、村長の実弟が経営する水産仲卸会社に迂回融資されたという疑惑が浮上した。村、つまり昭夫はその監査請求を棄却した。すると、島民たちは一斉に口をつぐんだ。むろん、村議たちも沈黙を守った。

そして、最大のナゾとされているのが子どもたちの存在だ。

昭夫には70年代生まれの息子も娘もいたはずだが、20年ほど前に島を出てから姿をくらましたままなのだ。「県道船」と呼ばれる村営フェリーに乗らなければ、島に帰ることはできないので、帰省すれば間違いなく島民に目撃される。だが、長い間、なんの音沙汰もないという。

そもそも昭夫は私生活を人前で語ろうとしないし、村民が尋ねることも禁じ手とされている。

私は村長室で行ったインタビュー中、「3代目」に引き継がれる可能性を思い切って問うた。

すると、昭夫は「ない」と短く答えた。

「とっさんの話を聞いて一目惚れした」

近い将来、「フジモト王朝」は途絶える──。

島の民がそう薄々と意識するようになったころ、NHKで働いていた敏和が東京からやってきて、村で講演することがあった。島でプロパンガス販売店を営む、村議の小野ひとし(取材当時55)は一目見てピンときたという。

「私はいずれ村長を替えたいと思って村会議員になったんですよ。島出身の人間の中から村長候補をずっと探していた時期もあったけど、しばらくの間は周囲に流されていた。だけど、とっさんの話を聞いて一目惚れした。目が覚めたんだよ」