全国には、何十年も選挙が行われていない町や村がある。そのうちの一つだった大分県の姫島村では2016年、61年ぶりの村長選が行われた。親子2代にわたり島を統治してきた「王朝」に、ノンフィクションライターの常井健一氏が迫った――。

※本稿は、常井健一『地方選 無風王国の「変人」を追う』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

姫島村の風景。藤本昭夫村長の前任で父でもある熊雄氏の銅像が立つ
写真=筆者撮影
姫島村の風景。藤本昭夫村長の前任で父でもある熊雄氏の銅像が立つ

32年もの間、村長の椅子に鎮座してきた

大分県東国東ひがしくにさき姫島ひめしま村(人口1930人、2017年3月1日時点)は、瀬戸内海にぽっかりと浮かぶ日本有数の「一島一村」の自治体である。

2016年秋、そんな島で、歴史的な事件が突然起きた。

〈61年ぶり村長選へ、来月の姫島村長選〉

同年10月18日、大分合同新聞がこんな見出しで大きく報じるなり、島には続々と報道陣が上陸してきた。8軒しかない旅館や民宿は季節外れの繁忙期に突入した。小さな村の騒ぎは大手紙の全国版でも報じられ、その名が知られることとなったのである。

姫島の村長選は1955年にあった一騎打ちを最後に、16回も無投票が続いた。その間、現職の藤本昭夫(取材当時73)は初当選時からじつに8度も不戦勝。つまり、32年も投票用紙に自分の名前が書かれたことが1度もないまま、島の主の如く村長の椅子に鎮座してきたというわけだ。

姫島村の藤本昭夫村長。任期32年は、現職としては全国最多となる
写真=筆者撮影
姫島村の藤本昭夫村長。任期32年は、現職村長としては全国最多となる

1943年に満州(中国東北地方)で生まれた昭夫は3歳の時に父の故郷である姫島に移住し、対岸の町にある県立国東高校、東京の慶應義塾大学経済学部で学んだ。卒業後の68年、日本住宅公団に入職し、主に経理畑を歩んだ。そして、80年に帰島。84年から村長の職にある。

親子56年間の「王朝」に吹いたつむじ風

「8選」は現職の村長として全国最多。全市町村の中でも堂々の第2位だ(取材当時)。

さらに、驚愕の事実がある。

藤本の前任者は、父の熊雄くまおだった。満州帰りの父も1960年の初当選時から無風続きで7期24年もの長い間、姫島村長を勤め上げ、現職の立場のままで名誉の死を遂げたのである。

熊雄から昭夫へ。親子で56年──。

当然、村役場の現役職員は「藤本村長」しか知らない。80代以下の島民は、村長選びに参加した経験すらない。2000人の誰もが自分の目が黒いうちには村長選というものは行われないと信じ込んでいた。

ところが、神代の小島につむじ風が吹いた。

無敵の「フジモト王朝」が自動的に延長されようとした2週間前、「9選阻止」を訴える挑戦者がひょっこりと現れたのだ。

対抗馬の藤本敏和としかず(同67)は、島生まれ、島育ちのUターン組である。

県庁所在地の大分市にある名門・大分上野丘うえのがおか高校から東京外国語大学中国語学科に進み、1972年にNHK入局。下関支局でアナウンサーとして活躍した後、韓国の延世ヨンセ大学に留学した。東京に戻ると国際放送の番組制作を手掛け、チーフプロデューサーに。一時は和光大学でも教鞭を執った。定年後は、2014年に島出身の妻とともに里帰りした。

本稿の主人公2人はどちらも「フジモト」なので、それぞれ「昭夫」、「敏和」と呼ぶことにしたい。