敏和がUターンすると、小野は同じ集落に住んでいる関係で頻繁に顔を合わせるようになった。かつて小野の父は6期も村議を務め、収入役だった敏和の父とも親しかった。
小野は事あるたびに敏和に「村長選に出ろ」と決起を迫るようになった。
派手な不意打ちを食らわせたが…
一方、敏和は教育委員になると小野だけでなく、役場の内部からも村長に対する不満をこっそり聞かされるようになった。だが、そんな動きをしていることが村長の耳に入れば潰される。これまでも村長に歯向かい、島から出て行った者は少なくない。敏和は小野の自宅を訪ね、「密室」で酒を酌み交わすことが増えた。
61年ぶりの村長選の約1カ月前、年に1度の村民体育大会が行われた。そこで、敏和と小野が住む集落では、昔使われていた景気づけの応援歌を復活させた。当日、2人は大喝采を浴び、高揚感に酔いしれた。
「その後、打ち上げで飲んでいるうちに、出馬の話が決まりました」(敏和)
口達者な小野は、報道機関出身の敏和よりもメディア対応に長けていた。私の取材にも立て板に水で受け答えする。彼はその能力を活かして、敏和の一大決意を地元紙にリークした。
果たして、冒頭で紹介した大分合同新聞のスクープは生まれ、村長に不意打ちを食らわせた。だが、そのやり口は有力者の不興を買った。
新人が戦うにはあまりに不利だった
61年ぶりの戦いが始まる告示日、フェリー乗り場のそばにある大きな広場には400人を超える村人が集まった。この島の歴史において、「キツネ踊り」で有名な盆踊りの時期でもない限り、村民の2割が一堂に会することなんてありえない。役場で仕事をしている200人の村民は参加していないにもかかわらず、だ。
副知事、県議、県内大手の建設会社の幹部、漁協、農協、村内全6地区の区長、高額納税者のIT起業家、そして村議8人のうち7人が駆けつけた。昭夫はここぞとばかりに「力」を見せつけた。
一方、そこから500メートルのところにある敏和の自宅前には10人ほどしか集まっていなかった。村議は小野のみ。あとは親類縁者だった。一時は熱心に「応援するよ」と言ってくれた人たちは見事に切り崩され、静かに身を引いていった。
姫島の選挙には新人に不利な条件が整っていた。
まず、村には「ポスター掲示場設置条例」がない。そのため、村長選が行われても島に選挙ポスターが貼られたことは1度もない。姫島と同じように設置条例を設けていない町村は、全国に24しかない(2017年12月31日時点)。極めて少数派だ。
さらに、同様の理由で選挙公報も討論会もない。
つまり、敏和のような新人が突然現れた場合、政策の中身はともかく、顔を知らせる手立てさえゼロに近いのだ。