ゲイツさんは、高校のときから、後にマイクロソフトを共に創業するポール・アレンさんと一緒にソフトウエア開発の会社をつくっていた。その会社が、学校の選択授業の割り振りのプログラムを担当していたのだという。

ゲイツさんには、当時、好きな女の子がいたのだけれども、シャイなのでデートに誘ったりすることができなかった。そこで、ゲイツさんは学校に納入しているプログラムに細工して、自分とその女の子が同じ選択授業のクラスになるようにしていたのだという。変人伝説、ここに極まれりである。

コンピュータのプログラミングが得意な「オタク」タイプの人は、コミュニケーションが苦手なケースが多い。プログラミングが厳密な論理の積み重ねなのに対して、対人関係では不確実性やあいまいさが大切だからだ。

文明史的に極めて重要な出来事だった

ゲイツさんがマイクロソフトで大成功して、世界で有数の富豪になったことは、文明史的に極めて重要な出来事だったと考える。

かつては、ゲイツさんのような際立った個性の人が経済的に大成功するという道筋はなかなかなかった。コンピュータが社会の中で重要な役割を果たすようになり、ソフトウエア開発が鍵を握るような時代になって初めて、ゲイツさんのような個性が輝くようになった。コンピュータ文明以前だったら、ゲイツさんは社会の片隅でひそかに地味に暮らしていたかもしれない。

人工知能が文明の趨勢を左右するこれからの時代には、ますますゲイツさんのような変わり者が大活躍する可能性が高まってくる。日本でも、苦手なことと得意なことのメリハリが大きい際立った個性が活かされるような教育やビジネスの環境が整えばいいと思う。

ゲイツさんのエピソードでもう1つ教訓的なのは、進学したハーバードを中退した経緯である。アレンさんと立ち上げた「マイクロソフト」の仕事が忙しくなって、大学に行っているどころではなくなったのだという。

時々、大学をやめて起業しようかなと悩んでいる学生さんに会う。そんなときには、具体的に仕事が忙しくなって、今は大学に行っている場合じゃないとなったら、中退しなさい、そうでなくて漠然と起業にあこがれているだけだったら、大学に通ったほうがいいよとアドバイスする。

これからの時代で個性を活かすためには、何かに熱中することが大切。他のことを忘れてしまうような集中の持続が偉業につながることをビル・ゲイツさんの人生は教えてくれる。

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