遺族らが韓国政府を相手に総額約110億円を求める訴訟

うだるような暑さが続き、ただでさえ熱くなりがちだが、お盆や夏休み期間中に少し彼らが好む「歴史」を整理してもらいたい。それをひもとけば、今回の事態はあまりにも無責任な韓国という国家の不始末が原因であるのは一目瞭然である。韓国大法院は2018年10月、慰謝料請求権を認めて元徴用工4人に1人あたり1億ウォン(約900万円)の賠償を日本製鉄に命じる判決を出した。日本製鉄は、判決によって韓国鉄鋼会社ポスコとの合弁会社の株式が差し押さえられることになった。だが、日本製鉄が「いわゆる元徴用工問題は国家間の正式な合意である日韓請求権協定により、『完全かつ最終的に解決された』ものと理解している」と主張するとおり、この問題は55年も前の1965年の日韓請求権協定で解決済みである。

文政権が「司法の判断」を盾にしているのは、彼らにも国家として後ろめたさがあることの証左だろう。日韓請求権協定に基づき、日本政府は無償3億ドル、有償2億ドルの計5億ドル(当時の韓国の国家予算の約1.6倍相当)を韓国に資金供与した。このうち3億ドルは韓国政府から元徴用工の家族らに支給される、というのが国家間の合意事項だった。

問題はここからだ。韓国政府は元徴用工や遺族らに慰労金や補償金を支払ってきたはずだが、経済発展を優先させた韓国政府はこれを「流用」してしまっていたのだ。2018年には遺族らが韓国政府を相手取り、総額約110億円の補償金を求める訴訟まで起こしている。国家間の合意、約束を普通の国家として守るならば、3億ドルを原資に韓国政府が当然支払うべきものであり、日本政府や日本企業ではなく、韓国政府にこそ責任があるのがあるのはお分かりだろう。まさに「どの口が言うのか」ということである。

なぜ反日の追撃をやめないのか

だが、「イチャモン国家」のすごさは反日カードを利用して追撃を緩めないところで、国家の合意とは関係なく「個人の請求権は消滅していない」との理屈をこねてくるのである。その根拠となるのは、1991年8月27日の柳井俊二外務省条約局長(当時)の国会答弁などだ。柳井氏は参議院予算委員会で「日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということだ。したがって、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない」と説明した。

ただ、これは国際法上の概念である外交的保護権の観点から説明したものにすぎない。韓国との間の個人の請求権の問題については、日韓請求権協定の規定がそれぞれの締約国内で適用されることにより、一方の締約国の国民の請求権に基づく請求に応ずべき他方の締約国およびその国民の法律上の義務が消滅し、その結果救済が拒否されることから、法的に解決済みとなっているからだ。すなわち「救済なき権利」である。

念のため、請求権問題の「完全かつ最終的」な解決で合意した日韓請求権協定をもう一度見てみよう。協定は、両締約国及びその国民(法人を含む)の間の請求権に関する問題が「完全かつ最終的」に解決されたこととなることを確認し、一方の締約国およびその国民の他方の締約国及びその国民に対する全ての請求権であって日韓請求権協定の署名の日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとなる。