ソ連軍の要求は「若い女性」の接待役だった

この話をきっかけに、いくつかの雑誌や新聞も特集を組み、2017年には「告白~満蒙開拓団の女たち」(NHK・ETV)や、「記憶の澱」(山口放送)などのドキュメンタリー番組も放映されました。体験談と報道の数々から浮かび上がってくるのは、次のような事実です。

旧満州では、敗戦後、自分たちを守ってくれるはずの関東軍は撤退してしまい、多くの開拓団が孤立してしまいました。日ソ中立条約を破って侵攻してきたソ連軍のほか、いままで支配されていた現地人も一気に暴徒化し、敗戦国の弱体化した開拓団に襲いかかります。

そこには略奪・暴行・虐殺・強姦など、あらゆる無法がまかりとおりました。彼女たちの隣の村の開拓団は、この無法に耐えかね、集団自決で全滅しました。黒川開拓団の中でも集団自決の声が高まりましたが、リーダーの一人が、「人の命はそんなに簡単なものじゃない」と主張して、思いとどまります。

そしてリーダーたちは、たまたま団の中にいたロシア語のできる人間を通じて、近くに進駐してきていたソ連軍に、保護を求める交渉をしました。するとソ連軍は、兵の暴行や現地人の襲撃から団を守り食糧や塩を提供する代わりに、若い女性を将校の「接待」役として差し出せという条件を付けてきたのです。

「このままでは集団自決しかない」

つまり挺身隊のような形で、決まった女性たちを交代で慰安婦として差し出せということです。それはソ連軍側から一方的に強制されての行為ではなかった。開拓団としての取引きでした。

夫や子どものいる女性には頼めないということで、結局、数えで18歳から21歳までの未婚の女性が15人選ばれました。「このままでは集団自決しかない。何とか全員が助かって帰国するために、団に身を預けてくれないか」と、必死の説得が行われます。「あなたたちには団を救う力がある。将来には責任をもつ」とも言われたといいます。

女性たちが「絶対いやです」と拒否するのは当然です。そんなことをするくらいなら、死んだほうがましと、拳銃をもって飛び出した女性もいたそうです。

結局、何百人もの命を守るためには断りきれず、当時21歳だったリーダー格の女性は、「日本に帰ってお嫁に行けなかったら、お人形の店でもやって一緒に暮らそう」そう言って、全員をなだめたと言います。