また、自律神経の研究で有名な順天堂大学の小林弘幸先生から「人間ができる我慢の量は決まっている」ということを聞きました。それも「なるほど!」と思ったので、ツイートしてみたらバズりました。

自分のことを発信するのは難しくても、自分のまわりで起きたことや、自分の心が動いた瞬間を書いてみればいいのです。

お母さんの言動がおもしろければそれを文章化してもいいでしょう。職場に変わった人がいるならそれを文章にしてもいい。本で読んだ仕事のノウハウでもいいし、誰かから聞いたことでもいい。それを少しずつ発信していけばいいのです。

みんな生きている以上、かならず誰かから何かしらの刺激を受けています。それを発信すればいいわけです。

コンテンツメーカーではなく「メディア」になる

つまり、本当は全員「メディア」なのです。それなのに「コンテンツメーカー」になろうとするから無理がある。書けないときに見つめるべきは「自分の内側」ではなく「外側」なのです。

「他人のことを書けばいい」と言うと、たまに「人のコンテンツをパクることになりませんか?」と聞かれることがあります。そんなことはありません。もちろん他人の言葉をあたかも自分が考えたかのように発信してはいけませんが、「これは聞いた話です」ということがわかればOKです。

情報やコンテンツ自体はすでにありふれています。「まったく新しいもの」を発信することは相当難しい。そういう時代においては「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」が重要になってきます。

つまり、唯一無二の存在である「あなた」を通して発信することに意味がある。「どういうフィルターを通ったか?」「どういう人が伝えたか?」「情報に対してあなたがどう感じたか?」、そこが重要なのです。

人生が雑誌なら、あなたは「人生の編集長」である

ぼくの中に「伝えたい強烈なメッセージ」はありません。世の中に対して訴えたいことは特にないのです。

もちろん「平和であればいいな」「みんな仲よく、豊かになればいいな」くらいは思っています。それでも声高に「世界を平和に!」と街頭で演説したり、ブログでガンガン発信していきたいとは思いません。

ほとんどの人がそんな感じではないでしょうか? 「発信はしてみたいけど、別に伝えたいことなんてそんなにないんだよな」と。

ただぼくは「こんなにおもしろい人がいたよ!」「こんな発見があったよ!」「これ、けっこう役立つよ!」ということは伝えたいのです。

「書けない」という人は「作家マインド」ではなく「編集者マインド」に切り替えることをオススメします。作家は訴えたいことが自分の中にないとうまくいかないかもしれませんが、編集者は「誰かに伝えたい」という思いさえあればいいのです。