どうしてそれまでの日露戦争のイメージを覆すような描き方をしたのか。それは司馬さんの中に、国家や戦争を神聖なる天皇の名で統治したり、決定したりするのは誤りだという判断があったからでしょう。司馬さんにとって日露戦争は、天皇の御稜威とそれを翼賛する軍神の戦争ではなく、国家を動かす国民一人ひとりの「国民の戦争」でなければならなかった。だからこそ天皇でも軍神でもなく、軍人の位でいえばもっと下で、なおかつリアリズム精神の持ち主だった秋山兄弟を主人公にしたのです。

さらにいうと、思想やイデオロギーの危うさを伝えたかったのではないかと思います。私は思想史を研究していることもあり、ロマン主義的精神がやや強く、思想が人々に言葉を与えることで歴史が変わることがあると考えています。たとえば「尊王」という言葉で徳川幕府の威光より天皇の権威が上回ったり、あるいは「共産主義」という言葉で、土地も資本もない無産階級が「革命を起こせば、自分たちも財産を共有できる」と元気になりました。

しかし司馬さんは、思想はアルコールのようなものだといって、その危うさを指摘していました。アルコールを飲めば、貧しくて腹が減っていても、元気が出ます。ただ、飲み過ぎると二日酔いになって動けなくなる。それでも元気が欲しくて、また酒を飲む。まさに依存症(アルコールイズム)であり、思想もこれと同じだというわけです。

司馬さんは、世の中を変えるのは思想ではなく、現実をあるがままに見て、その必要に応じてモノをつくったり、使ったりする合理の精神だと考えていました。『世に棲む日日』には天皇=国家の国体論をつくり上げた「思想家」吉田松陰と、その弟子であり、奇兵隊を組織して幕府軍を退けた「現実家」高杉晋作の対比が描かれています。司馬さんは松陰の人格や情熱を認めつつも、自らの思想(美学)に酔って獄死する生き方には共感しなかった。司馬さんも松陰を書いているうちに辛くなったのでしょう、作品の後半は早々と高杉の物語にしてしまいました。

中国の楚漢戦争を題材にした『項羽と劉邦』でも、リアリストの項羽は勇猛果敢なヒーローで、徳という目に見えないもので戦おうとした劉邦を大いなる愚者として描いています。「思想なんてたいしたものではないよ、現実をあるがままに見ないと大事なものを見失うよ」というメッセージはここにも貫かれています。

(構成=村上 敬 撮影=市来朋久、宇佐見利明)