「国民作家」司馬遼太郎──。彼の手によって描かれた魅力的な群像。激動期を生き抜いたさまざまな「彼」の物語、「もう一つの日本」の物語から、混迷の現代を生きる我々は何を学ぶべきか。司馬文学研究の第一人者が語る。
司馬さんが『街道をゆく』で書いたのは、日本のモノをつくってきた人々と、その土地の物語でした。代表的なモノが、コメであり鉄(砂鉄)です。日本人は、たとえば檮原の棚田や鳥取の鎌というように、一所懸命に土地に根ざしてそのモノをつくり、日本の文化(民族の生きるかたち)を育んできました。つまり司馬さんは、土地を転売して稼ぐ投機的な生き方でもなく、天皇に美を求めるような原理主義的な偏りを持つのでもなく、モノをつくって合理的に生きてきた普通の人々に、あるべき日本の姿を見出し、私たちに示そうとしていたのです。
アメリカのサブプライム問題を引き金にした世界的な金融危機に巻き込まれたとき、日本はやはりモノづくりで支えられてきた国であり、そこから立て直していかなければいけないと感じた人は多かったはずです。
ただ、大怪我をするまでは、高度金融資本主義こそ自分たちを幸せにすると信じて疑わない人が少なくなかった。だからこそ小泉・竹中路線は支持されたし、ホリエモンや村上世彰といった虚構の時代の寵児も生まれました。サブプライム問題の発生で、多くの日本人は、自分たちが道を誤っていたことに気がつきました。はたして、私たちが立ち返るべき方向はどこにあるのか。そうした視点で『街道をゆく』を読むと、三島さんとは大きく違う司馬さんの思考に触れることができるはずです。
私なりにいろいろと解説を加えましたが、司馬文学にとくに決まった読み方などありません。司馬さんはリアリズムの人でしたが、ロマン主義的な人物もよく書きました。また、『菜の花の沖』の高田屋嘉兵衛など、1人の「彼」を中心に物語ることもあれば、『坂の上の雲』のように、明治の「平均的日本人」として3人を取り上げた国民国家の物語も書いた。また歴史小説のみならず、日本をつくってきた無数かつ無名の人々と土地の物語を書いた『街道をゆく』も魅力的です。