「国民作家」司馬遼太郎──。彼の手によって描かれた魅力的な群像。激動期を生き抜いたさまざまな「彼」の物語、「もう一つの日本」の物語から、混迷の現代を生きる我々は何を学ぶべきか。司馬文学研究の第一人者が語る。
その思いは、同じく「軍神」として崇拝されていた乃木希典の描き方からも読み取れます。司馬さんが『坂の上の雲』や『殉死』を書くまで、日露戦争は「天皇の戦争」、あるいは乃木や東郷といった「軍神の戦争」という歴史観が支配的でした。私が子供のころに『明治天皇と日露大戦争』という映画が大ヒットしましたが、嵐寛寿郎扮する明治天皇がスクリーンに映し出されると、映画館の中で突然立ち上がって敬礼する人が大勢いた。戦後でさえ、日露戦争の勝利は天皇や軍神によってもたらされたものとして人々に記憶されていました。
ところが、司馬さんは乃木をいくさ下手の無能な指揮官として描き、高潔といわれた人格についても意図的に削り落としています。たとえば乃木は幼い頃に母親から折檻を受けて左目の視力を失っていますが、本人はそのことを決して周囲に語りませんでした。隻眼であることが知れればまわりは母親を責めるだろうが、それでは母親がかわいそうだというわけです。このエピソードは太宰治も随想で美談として取り上げていますが、司馬さんは『坂の上の雲』でも『殉死』でも触れていない。いわば乃木神話の排斥です。
明治天皇にいたっては登場も少なかった。日露戦争では開戦の決定も含めて5回の御前会議が開かれましたが、『坂の上の雲』には、一度も御前会議の場面が出てきません。司馬さんは、天皇が戦争を決定したり指導したことを描きませんでした。