「国民作家」司馬遼太郎──。彼の手によって描かれた魅力的な群像。激動期を生き抜いたさまざまな「彼」の物語、「もう一つの日本」の物語から、混迷の現代を生きる我々は何を学ぶべきか。司馬文学研究の第一人者が語る。

司馬さんが合理主義の持ち主を好んだことは、『坂の上の雲』で主人公に据えた秋山好古・真之兄弟、正岡子規という3人の人物を見てもわかります。

秋山好古は陸軍軍人で、日本騎兵の父と呼ばれました。騎兵というと颯爽として格好がいいですが、実は戦場では騎兵隊を使いこなすのは相当難しい。たとえば満州の秋や冬は地面に霜が降りたり凍ったりで、馬で駆けることが困難です。そこで好古は騎兵隊長であるにもかかわらず、躊躇せず兵を馬から降ろして戦った。日露戦争ではこうした合理的判断を随所に見せ、8000の騎兵で当時世界最強といわれたコサック騎兵10万の猛攻に耐え抜きました。

弟の真之も、合理的精神の塊です。真之は、日露戦争を連合艦隊司令長官・東郷平八郎の副官として戦い、有名な日本海海戦の T字型作戦を立案しています。稀代の戦術家だったことからもリアリストであることは想像できますが、秋山真之は薩摩出身の財部彪に対して、「あなたたち薩摩人は、非常事態に会うと、すぐ大和魂を持ち出す」といって、大和魂という非合理的な精神を批判する言葉を述べています。

軍人の秋山兄弟と俳人である正岡子規とは異質に感じるかもしれませんが、子規もまた、「現実をあるがままに見よ」というリアリズム精神の人でした。

「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」

子規の作品でもっとも有名なこの句が、なぜ名句として評価されているのか疑問を抱く人も多いでしょう。